東北へ行った最大の目的は即身仏めぐりだった。
「即身仏」というのはお坊さんのミイラのことだ。
絶食したりウルシを飲んだりしたりして修行をする。
身体の脂肪はおろか筋肉もそぎ落とす。
死んでも腐らない身体になってから、穴の中に入る。
絶命してから3年ほどでミイラになる。
即身仏は日本に18体あるという。
その約半分が山形県にある。
それもほとんどが庄内地方周辺にある。
山形名物といえば芋煮でも「天地人」でも鳥海山の春スキーでもない。
ミイラこそ山形が世界に誇るべきものなのだ。
わたしは今回6つの寺を拝観して7体の即身仏を見た。
最初は正直言って怖いもの見たさのようなところがあった。
しかしいくつもの即身仏を見ているうちに、とても晴れやかな気分になってきた。
なんというか、即身仏たちからパワーのようなものが伝わってくる。
生きる元気がわいてくるのだ。
人間の死体を見て元気がわいてくるというのは不思議に思えるだろう。
でも実際そうなのだからしかたがない。
ミイラたちが「即身仏」と呼ばれて大事に祭られているのも、分かる気がする。
ということで、今回から連載で即身仏ラリーの顛末を書いていく。
3日(土)
最初に訪れたのは新潟県村上市にある「観音寺」。
駅前近くの住宅密集地のなかにあった。
ここには仏海上人という即身仏がある。
古ぼけた本堂の奥からおばあさんが車椅子に乗って出てきた。
檀家のいないお寺なので経営が苦しいそうだ。
本堂の隅に即身仏があった。
ガラスのケースに入って祭壇に祭られている。
黒いドクロ顔に袈裟姿だ。
のちに見る即身仏もほとんどこのパターンだった。
この仏海上人は日本最後の即身仏と言われている。
死んだのが1903年、掘り出されたのが1961年だ。
だから資料なども豊富だ。
そばには生前の似顔絵がある。
入っていた棺桶も展示してある。
本堂の裏には入定していた石室もそのまま残されている。
ほかに拝観者は誰もいない。
じっくりと即身仏に対面した。
おばあさんは一人でぶつぶつと解説のような愚痴のようなことを物語っている。
即身仏を目の前にすると、気持ちが悪いとかブキミとかいう感情はわいてこない。
なにか迫力のようなものを感じる。
自分の身体を制御しきって、世界や時間に挑戦した、強靱な意思の残り香が漂っているようだ。
よく見るとアゴのあたりが白くなっている。
これはなんだと聞いたら
「汚れていたので拭いたらカビが生えてきた。」
おばあさん、濡れたふきんで拭いちゃだめだぞ。
「またいつでも来てちょうだいね〜」
おばあさんに見送られ、先を急いだ。
峠を越える。
いよいよミイラの本場、山形県庄内に入った。
(続く)
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