まあ、何といっても英語が及ぼす悪影響は絶大です。
今の入試制度は英語ができればぐんと有利であり、慶應のSFCや東京外語大など、ほとんど英語で合格できる大学もあります。
脱線しますが、
ちなみに、では英語だけの学力で世を渡れるかというと、そうではありません。
外務省では、純ジャパ(ハーフでもなければ留学歴もない人)だけが採用される年が多いそうです。
しかし、大学に入ればこっちのものだという風潮が強いですから、英語に狂奔します。
その結果、次のような考えを抱く人が出てきます。
イ 大谷は160kmを超える速球を投げるので、昨年対戦したアメリカンリーグの選手たちは驚いた。
(誤解 投げるを投げたにしないといけないから、間違った文章である。)
ロ 花子さんは、高熱が出た。彼女は苦しそうだ。少女は診察を訴えた。
(誤解 主格の表現を変えるべきだという英語の作法を日本語に通用すると思い込んでいる
ハ ぼくはウナギだ。
(誤解 「ぼくが注文するのはウナギだ」としないといけないから、間違った文章だ)
英語に合わせて日本語を考えているのですね。だから、日本語の理解ができないのです。
もっとも、英語を勉強したとしてもある程度できる人は、
イは、時を表す副詞節のようなことがある
I'll call you as soon as I arrive at the airport.とは言いますが、
I'll call you as soon as I will arrive at the airport.とは言いません。そういうことがあるから、時制は形式として、絶対に守るべきものとは限らない。
と気づきます。
また、英語などわからなくても頭が柔らかい人は、
二 初代内閣総理大臣は伊藤博文だ。
といえるではないか。
ホ 初代内閣総理大臣は伊藤博文だった。
という必要がないではないか
とすぐに気が付きます。
私が思うのは、勉強の害です。
勉強は優秀な人を優秀にします。しかし、おバカな人をさらにおバカにするのではないでしょうか。
近代以降の学校制度は、社会的平等の実現が目標の一つでした。
実際、馬喰の跡取りの田中角栄や貧農の倅の大平正芳も、内閣総理大臣になりました。
だが、この二人は生まれつき優秀だったからそうなったのです。
優秀ではない人は、手放しで教育を肯定するわけにはいきません。
今、そんなことも考えています。
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