S氏は大学の同級生です。
といっても、学部は違います。同業者(予備校、大学)ですから、たまに会って話をします。
昨日の日記の「軍人と芸者」に、「最も純粋な人間関係」が見れるという話は、彼との話しの発展です。
二人とも、父を亡くしました。
だけれども、「せいせいした」「すっきりした」というのが感想です。じっと、後見されているようなまとわりつかれるような感覚があったのでしょう。
それは自分が親になっても子どもに対しては同じです。
彼は、小学校高学年の息子を持ってますが、「女好きで安心した」と言っていました。
LGBTQだと、苦労が多いからです。よくわかりますね。本物の(というか完全な)LGは数人知っています。当然ですが、未婚であり子持たずです。
また、Q(クィアもクエスチョニングも)の場合、居場所がないのではないでしょうか。
東北地方のGの高校生の話を朝日新聞で読んだことがあります。
週末の金曜日には、高速バスで二丁目に行くとか。大変ですが、しかし、二丁目にはコミュニティがあります。相手を見つけるということだけでなく、話を聞いてもらえるでしょう。Lですらバーや風俗があるそうです。Qの場合、聞いたことがありません。
LGBTの話が長くなりましたが、親が心配するのは当然です。
息子はその視線をわずらわしいと思い、もしも、S氏が死んだら「せいせいした」と思うでしょうね。
何でこんな話をしたかというと、本音で話すとはそういうことだと思ったからです。
親が死んでせいせいした(カミュの『異邦人』に似た話があります)
LGBTQは困る
という、他人に聞かれたら、ひんしゅくを買うことを正確に話せるということですが、
通じる相手が少なくなりました。
切り取って理解するからとも、読解力がないからとも言えます。
生きにくい世の中になりました。
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