料理は、素材であると同時に形式だと思います。
たとえば。中国の東北料理店。
キムチや羊肉のクミン焼きなどの異民族のおかずも出ますが、形式は、中華料理です。
日本の飯も同じです。
材料でいうと、たとえばマヨネーズは近世から、黄身酢という似たものがありました。
肉は、鶏だけではなく、彦根藩の行う牛肉の味噌漬け、卓袱料理の東坡肉(ドンポーロ―。つまり、豚肉)と、いろいろなものがありました。
素材の変化はそんなにありませんが、
糧食が軍隊から日本全国津々浦々まで広まりました。
カレーライスなどは、陸軍が採用してから、わずか10年で全国に広まったといわれます。ところが、祖母から明治時代のカレーの話を聞いたことがあります。その話をもとに母が作ったカレーは、うどん粉とカレー粉を炒めて出汁で溶き、上からとんかつソースをかけるというものでした。祖母は新潟県の三条というところの出です。東京のブルジョアではありません。これが本当に明治のカレーなら、カレーが陸軍に採用されたのは明治43年ですから、10年どころか5年で広まったということになります。
そういう兵糧というか糧食の形式の特色は、皿數が少ないことです。
若いころ、東京理科大学南進寮というところに転がり込んでいました。そこで見聞きしましたが、カレーの皿ならバケツの水に漬けておいてそれを洗えばいいから、百皿は一人で片付けられます。
その他のおかずは大鍋で作れるもので、続いても飽きないものか、取って置けて使いまわしできるもの。
キンピラ、ヒジキまど
ポテトサラダやマカロニサラダ(カレー粉やトマトなどで味変できます)
根菜の素揚げ
揚げ魚(取っておけるし、霙煮やマリネなどに転用できる)
でした。カレーやソースも扱いが優しいので一般的になりました、
もちろん、軍隊では、敵が目の前に迫ってきたら、おかずは省略すればいいです。
この形式の変化は、都市の独身者や労働者にも拡がりました。家庭以外で食事をする人も同じです。
トンカツ … 煉瓦亭など
カツカレー … 河金
かつ丼 … 奥村本店(三朝庵説は誤りです)
エビフライ … 屋台料理から(煉瓦亭説は、無理があります)
ラーメン … 来々軒
煮込み … 万世橋の車夫相手の屋台
と、孤食により新しい食事が広まりました。煉瓦亭などは、連れは奥さんではなく芸者や半玉ですから。
近代の食事は、孤独の象徴です。
軍人などは一人で死んでいくわけです。
芸者さんとの関係も、孤独です。
「別れる切れるは、芸者の時に言う言葉」(泉鏡花『婦系図』)
というではありませんか。
軍人と芸者は極端ですが、何というか、そこに、もっとも純粋な人間関係を見るのは僕だけでしょうか。
親子や夫婦と違って、切れない関係ではなく、どこまでも自主的な関係だからです。
(芸者は本来は芸を売るものであり、だれかれ構わず伽をする芸者は不見転と呼ばれた特殊な存在です)
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