■関東甲信 今日11日の午前は雨 道路が冠水するほど激しく降る所も 甲信は雪に注意
(日本気象協会 - 02月11日 05:54)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=174&from=diary&id=8666261
私はノヴァーリスが好きです。
彼は、あるところで、
「すべて、見えるものは見えないものに、聞こえるものは聞こえないものに、感じられるものは感じられないものに付着している。おそらく、考えられるものは考えられないものに付着しているだろう。」
と言っています。
そのことの一つの意味は、
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1991589151&owner_id=12410478&from=list_diary_title
で書いたように、目標や意図のない対象とのかかわりが、対象に対する倫理性を確保するということです。
たとえば、彼女に性的に惹かれていたとしたら、17〜35までの…というタイプの女なら誰でもいいということになりますが、それ以外の不可知のものに巻き込まれるからこそ、
この世にたった一人しかいない彼女、言葉が要らない幸せ、体ではなく心…
といった純愛を可能にします。
そこで注意が必要なのは、自分の内面と対象が溶け合うことです。
すなわち分節(言語化)できない不可知の要素が輪郭を溶かし、見えなくすることです。
たとえば、大学時代に五号館の「掲示板」というものがありました。
休講の掲示やレポートの締め切りなどが貼ってありました。
当時は、なかなか脱出口(単位をとるということではなく)が見えない自分の砂をかむような人生の象徴のように思えましたが、今やとても懐かしいです。
同じ感想はよく聞きます。「大学時代が一番辛かったが、今となっては一番楽しかった」と。
世間では、過去の美化と言いますが、それは違います。
ぼくは埼玉県の小都市に家をたてて住んだことがありますが、特段のいい思い出はほとんどありません。隣人の一人が良い方でした。それだけであり、特段の嫌なこともなかったですが、今や、つまらない街と思うだけです。
五号館掲示板もなくなりました。
昔は、「本日休講 ドイツ語�機廚箸い�紙をはりつけた奴がいたりして、なかなか面白い掲示板だったのですが…笑えるいたずらしかなかったのも、そこが母校の名に値すると思います。いい思い出です。
埼玉の小都市とどう違うか。
多分、五号館掲示板と自分の人生を好きになろうとしていたからだと思います。
そういう気持ちが、同じ不可知に包まれた環境でも、「あのころは幸せだった」と思わせてくれるのでしょう。
そう。幸せとは期待であり、期待とは不可知なものですから。
今、雨が降っています。
ヴェルレーヌは、
Il pleure dans mon coeur
Comme il pleut sur la ville
街に雨が降るように私の心にも涙が降る
と歌いました。
街が潤うように私も潤うと感じることも可能です。
事実ではなく、方向性。
スカラーではなく、ベクトルで我々は生きている。
そういうことを思います。
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