mixiユーザー(id:67073406)

2026年02月09日22:10

35 view

Facebookから転載

Facebook「過去の日々」

あの瞬間、緊急制動をかけた長距離バス…
この写真の光景は、映画でもドラマでも、ましてやAI生成でもありません。
30年前の1995年1月17日、阪神高速道路上で実際に起こった出来事です。

安井義政さんは、日本の観光バス・長距離バス事業を全国的に展開する「帝産観光バス」の京都支社に所属する、一人の長距離バス運転手でした。
バブル期の日本ではスキーブームが巻き起こり、冬季の観光資源が豊富で関西からも近い長野県は、多くの観光客を集めていました。
安価なバスツアーも多く、発達した長距離バスネットワークを利用する客は後を絶ちません。

1995年1月16日、三連休も終わりに近づき、関西からの観光客たちは帰路につこうとしていました。
安井さんのその日の任務は、夜間に長野県の野沢温泉スキー場を出発し、JR京都駅、大阪・梅田を経由して、終点の神戸三宮駅まで向かう長距離バスを運転することでした。
乗車していたのは当時トップクラスの長距離バス、三菱ふそうの「エアロバス」。
その日もバスは満席でした。
しかし、天気は急変。
長野では夜から大雪が降り始め、車の走行は遅々として進みません。
大幅な遅れが出ましたが、17日の未明までには、ほとんどの乗客が京都と大阪で無事下車。
神戸方面へ向かう乗客は、3名と、交替運転の同僚ドライバーだけになっていました。

安井さんが京都支社に配属されて2年。
当時世界最高水準と言われた阪神高速道路を、深夜の走行にもすっかり慣れていました。
「また無事に終わるかな」と、高架道路を走行中だった安井さんが思ったその時、午前5時46分、激しい揺れと共に、路面が激しく波打ち始め、周囲の建物が傾き、倒壊していきました。
「大地震だ!」咄嗟にブレーキを強く踏み込み、車体をなんとか制御しようとします。
しかし、前方の橋梁の連結部分がすでに崩落しています。
このまま進めば、間違いなく転落、全員が死亡する状況です。
車体は減速を始めていましたが、重い観光バスはすぐには止まれません。
崩落箇所にどんどん近づき、建物の崩れる瓦礫が車体の上に次々と落ちてきます。

「もうダメか…」。
そう思いながらも、安井さんは最善を尽くし続けました。
残る3人の乗客の悲鳴の中、バスはようやく、橋梁の崩落直前に停止。
しかし、前輪二輪は宙に浮いています。
制動距離があと2、3メートル短かったら、バスは高架下へ真っ逆さまに落ちていたことでしょう。

安井さんと同僚は、残った3人の乗客を車体右後方の緊急脱出ドアから慎重に避難させ、全員の安全を確保しました。
息を呑む瞬間がようやく終わったのです。
高架から降りた後、安井さんは、がけっぷちに停まったバスの姿を写真に収めました。

あの死線をかすめた経験から、安井さんは「どう生きるべきか」を真剣に考えるようになりました。
あの震災後もバス運転手の仕事を続け、帝産観光バスを定年退職した後も再雇用され、第一線で運転を続けました。
しかし、本業以外にも、自らの経験を活かし、震災復興ボランティアに積極的に参加。
熊本地震や能登半島地震など、自然災害に見舞われた人々への救援・復興支援活動に、自らのできることで貢献し続けています。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する