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2026年01月12日11:22

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Facebookから転載

Facebook「日本の魅力」

今の日本が失った「教育の真髄」を問う。
浜尾実氏と天皇陛下、あの日の真実

今の日本を見て、皆さんはどう思われますか。
スマホを離さない親、少し注意されただけで逆上する子供。
個性を尊重と言えば聞こえはいいが、その実、ただの放任と無関心が蔓延している。
そんな空虚な現代社会を前にして、私はある一人の男の背中を思い出さずにはいられない。
「オーちゃん」と慕われた、浜尾実氏のことである。

かつて天皇陛下の御教育係を務めた彼が遺した足跡は、甘やかしに慣れきった現代への、音なき「告発」そのものだ。
一、教育とは「甘やかし」ではなく「ユーモアという名の余裕」である。
浜尾氏の教育方針は徹していた。
「褒める時はしっかり褒め、叱る時は厳しく叱る」。
今の親はどうだ。
感情に任せて怒鳴るか、さもなくば機嫌を取るばかり。

陛下が幼少期、草履を片方だけ履いて歩かれた際、浜尾氏は声を荒らげることはなかった。
ただ一言、「左右どちらかに全力で行くおつもりですか?」と。
叱らずに「気づかせる」。
この圧倒的な包容力。
今の教育現場に、これほどの知性を持った大人が果たしているだろうか。

二、小さなリュックに詰め込まれた「他者への想い」。
ハイキングの日のエピソードも、現代の利己主義とは対極にある。
麦わら帽子に小さなリュックを背負った幼き日の陛下。
目的地に着くやいなや、ご自身のおやつを差し出し、「はい、これ!浜尾さんの分だよ」と仰ったという。
「自分さえ良ければいい」という教育が跋扈する今、この幼い優しさがどれほど尊いか。
浜尾氏が教えたのは、知識ではなく「人を想う心」だったのだ。

三、身分を超えた「約束」という名の誠実。
そして、最も胸を締め付けるのが、あの「約束」だ。
浜尾氏が退官される日、陛下は尋ねられた。
「また、家に遊びに行ってもいい?」
社交辞令が飛び交う現代なら、誰もが忘れてしまうような一言だろう。
しかし、一年後の卒業式の日。
陛下は卒業証書を手に、本当に浜尾氏の自宅の門を叩かれたのだ。
「見て、卒業証書だよ」
その瞬間、浜尾氏は確信したという。
「自分の教育は間違っていなかった」と。

2006年、81歳でこの世を去った浜尾氏。
彼が陛下に遺したのは、帝王学などという冷たい言葉ではない。
一人の人間として、どう誠実であるかという「背骨」である。
私たちは、効率や利益を追い求める影で、何を切り捨ててきたのか。
この、魂と魂がぶつかり合うような絆を、今の日本に望むべくもないのだろうか。
この物語を語り継ぐことさえ止めてしまったら、日本は本当に終わってしまう。
そう思わざるを得ない。
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