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2025年10月03日07:40

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海原雄山ごっこ お椀6 煮込み2 特選

松原岩五郎『最暗黒の東京』に描かれた煮込みは、東京の下町に定着します。

もっとも関西の事情は、よく知りません。

東京の場合、代々、営んでいる家がありますが、たとえば、ぼくが20年前に、八十代の店主から、「子どものころ、うちの爺ちゃんに、「若いころは…だったものだ」と聞いた」という話を聞いたとします。
そうするとその話は、今から、120〜150年前の話になります。だから、明治時代の話を聞いたということになります。
関西の事情は、関西に住んでどこかの店の常連にならないと聞けません。

当時の東京の煮込みは、『最暗黒の東京』に書かれている通り、汁に具を串にさして煮込んだものだったようです。
田楽と同じです。
そうすると田楽と同じように、多くの具が混じりあった方が、汁がうまくなります。その汁をお凌ぎとして客にサービスしたり、売ったりする店が出てきます。これが、煮込みの原形です。

また、精肉を作る過程で、出る半端な肉(腱や横隔膜の端など)を鍋に放り込むことも行なわれました。

煮込みが現在のような形になっていく過程で、二つの文化が合流します。

一つは、同和です。
まだ日本には肉文化が花開いていませんでしたから、肉と言えば、ロースなど普通の肉でした。もっとも、現在も花開いていません。日本料理の中に、ハツのしゃぶしゃぶとか、レバーの霙煮などは、ありませんから。

昔は、売り物になる肉と言えば、ロースやカルビなどでした。腿ですら客に出せないと、いい飲食店では使わなかったそうです。
(『たいめいけん よもやま噺』たいめいけんの創業者、茂出木心護著 現在のシェフ、茂出木 浩司 さんの祖父に当たる方です。いい本ですね)

ですから、と殺場で働いていた同和関係の人は、ごみ同然に扱われていた締めたての内臓を極めて安い値段で入手できました。
その過程で、同和地区の油カスなどの独特の食文化や、フア(肺)が実はうまい…などの知恵を学んで発展したと言っても良いと思います。

もう一つは、韓国朝鮮の食文化です。
松原岩五郎『最暗黒の東京』と並び称される、ルポルタージュの傑作に、『日本之下層社会』(明治32年)があります。作者横山源之助は、社会運動家の始祖といってもいい人です。労働組合運動や廃娼運動の先駆けでもあり、片山潜ともつながりがありました。
それを紐解くと、下層民は、東京にずっと住んでいた人もいますが流れてきた人も多かったようです。

現代の日雇い労働者とは違います。

現代の日雇い労働者は、
1 高度成長、東京オリンピックのころ、中卒の農家の三男坊が東京で労働者となる
2 田舎の貧乏暮らしと違い、稼ぎは好きに使えて楽しい。
3 気がついたら親兄弟とも疎遠になり、仕事がなくなり歳老いてしまった。
というパターンの人で背景に独特の文化がありません
(参考 『山谷ドヤ街―一万人の東京無宿』神崎清 この本も目がくらむような名著です)

ところが、昔は、地方色を背負って東京に流れてきました。特に韓国朝鮮の方は、差別がありましたので、誰でも無条件で雇うような、他の人が敬遠する今でいう3K労働につかれました。

まちがいなく、その方たちが持ち込んだのが、ニンニクと薬味や調味料です。その使い方や配合などで、煮込みの味は多種多様な食べ物となります。
味の独自性が、酒場のアッピールポイントになりました。
独自性と言えば、酒場のメニューの中には、豚足のように現地と同じ料理がメニューに取り入れられたものもあります。

と考えると、
煮込み
こそは、近代日本の光と影です。

光の部分は、まず、貧民の命をつないだということ。
ありがとう。その子孫が我々や我々の隣人です。

そして、多様化と、柔軟性。
よく、日本人の独創性として、あんパンを開発したことが挙げられます。

しかし、ボーダレスという意味でもっと本質的な食い物は、煮込みです。

次回は、いよいよ、レシピ。

下町のボール(天羽いりハイボール)と、煮込みは、神保正樹君に教わりました。長岡高校一年六組以来の友人です。
https://mixi.jp/show_friend.pl?id=4785516



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