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2025年10月02日21:57

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海原雄山ごっこ お椀6 煮込み1

ニンニクは、平安時代には日本に入っていました。
ところが、「不許葷酒入山」といい、『大和本草』では、「悪臭甚だし」といい、どうも、日常の食とされた気配がありません。『豆腐百珍』『台記』『貞丈雑記』の扱いも同じです。
寛永の『料理物語』は、獣肉の薬味として載っています。

例外は、『元和年録』。
徳川家康の死因とされる鯛の天ぷらには、ニンニクが使われています。

私は、庶民がニンニクを食べるようになったのは、近代だと思います。

しかし、最初は、普通の人は食べない食い物でした。

『最暗黒の東京』(明治十五年)には、
田楽のように串に刺して、醤油に味噌が混ざった汁で煮込んだものと記されていますが、貧民窟独特の生活を描写したものです。
『最暗黒の東京』は、初めての日本のルポルタージュです。しかも、大変評価が高い作品です。当然のことであり、作者松原岩五郎は何年も貧民窟に住み込んで、日雇い人夫や人力車関係の仕事をしたのでした。
うまい具合に、口語訳を発見しました↓
https://note.com/kamikochi_takeo/n/n9350133bfb55
最後の方の「29車夫の食い物」に書かれています。

『繁昌誌』(明治十年)に
辻売の煮肉は、一串僅文久三孔、廉価此の如くなれば、人力曳は、夜寒を凌ぐに便る地を得
とあります。
串焼きの元祖は、秋葉原の万世橋周辺に出た屋台。
近くに停車場があり、人力車夫が群がりました。ハイボールとステーキで力を付けたいのですが、あいにく、貧乏です。

ステーキの代わりに、串焼き。焼き鳥も高価です。だから、内臓の肉をという具合でした。
ハイボールの代わりは焼酎。甘露とソーダ(工業的な炭酸は1914年には商業ベースに乗っています)を入れた酎ハイ。それが、天羽のエキスを入れた、下町ボールやレモンサワーに進化します。

内臓肉の屑や、肉のスジをにんにくを入れた汁仕立てにしたのが、煮込みです。
その味は、貧者にとってビーフシチューに等しいものでした。

(以下、次回)
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