バラバラに。最近思ったこと。
1 男の責任?
「男の責任」という言葉があります。
この言葉の真価が分かったのは、ごく最近です。
責任とは、損を承知でその人のために奔走するということでしょう。
それは、一瞬でも彼と彼女の関係だった人にしか言えません。
だからこそ、「男の責任」です。
そうではない人にSOSを発信されても、対応に限度があります。身を挺してことに当たるということになりません。
だが、SOSの発信は、こちらが男だから発するという面があります。
どういうことかというと…
娘が生まれたときに、女に生まれてどんなものか…と思いました。たとえば本人が本当にどうしようもない場合、男より女の方が世渡りが楽でしょう。
あれこれ考えましたが、女に生まれた不幸は、
「男の友達が持ちにくい」
ということだと考えました。男の友達を持ったら、利害損得関係なく親身にしてもらえるかもしれません。しかし、そうなりにくい。
わが師佐藤六龍は、「男女関係というものは揉める。揉めごとには正しいか間違いかなどはない。だから、結婚するのではなく同棲せよ」とおっしゃいました。至言です。
結婚して幸せになりたいというのは、妄想です。
まあ、それ以上にかつて一度も恋人関係でなかった人に何かを助けてもらうというのは、妄想なのですが。
何も考えずに気がついたら同棲していた、深い人間的な結びつきで相手と助け合っていた。これが正しい姿です。
2 ロバート・パーシグ は「1人の人間が妄想に苦しむ時、それは狂気と呼ばれるが、多くの人が妄想に苦しむ時、それは宗教と呼ばれる」 と言います。
たしかにその通りです。
ただ、なぜそうなるか。後者は場があるから意味を持つからです。
A 電波にオレの脳からシバ神の秘密が盗もうとすしおてぐるごおろろ。
B ガザのイスラム教徒を殺せ。
意味があるのがBですが、さあて、どっちが有害でしょう。
「意味」という言葉の多義性に無頓着だからこそ、戦争と虐殺のもとになる宗教が生まれたのでしょうね。
意味はContextとは違います。
ましてや、ロラン・バルトが『零度のエクリチュール』で述べているような社会的なものではないです。
「男は浮気をする」とは、
意味を生成する場がないからこそ、「男というものは…」という意味になります。
実は、締め切りを伸ばして取り組んでいるのは、この問題です。
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