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2025年03月03日18:52

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雪の雛祭り・・・

 宇都宮は朝から雨が降っていましたが、
 お昼近くなってから雪になりました。
 その内にベランダに少しだけ雪が積もり始めました。
 ベランダと居間はガラス戸があるだけです。
 薄暗かった部屋の中が明るくなりました。
 雪灯りとはこの事かと思いました。

 雪の雛祭りと言うと思い出すのが、桜田門外の変です。
 安政7年3月3日、上巳(桃の節句)の式日のため、
 大老井伊直弼が江戸城に登城する途中、
 水戸藩の脱藩者17名と薩摩藩士1名が襲って、井伊直弼を斬殺した事件です。
 この日江戸は大雪でした。
 このため、行列の供回りの彦根藩士は十分に防御が出来なかったと言われています。
 もっともこの3月3日は旧暦ですから、今の暦では3月24日で、
 もう少し先になりますが、大雪になる事もあるのですね。

 その頃の井伊直弼は、将軍継嗣問題と日米修好通商条約の締結という
 二つの大きな課題に直面していました。
 また、安政の大獄によって、開国反対派を弾圧していましたので、
 反感を買っていた事も間違いありません。
 暗殺される理由もその辺にあると言うのが、ほぼ定説となっています。

 しかし、この暗殺劇の理由は他にあるとする話があります。
 特に、事件直後の水戸藩などで多くの民衆に信じられていました。
 彦根藩は近江国ですが、江戸時代にも彦根藩では牛が食べられていました。
 そして将軍家に献上する他、多くの大名に配られていたようです。
 彦根藩は、江戸時代、公式に牛の屠殺が唯一認められていた藩でした。
 水戸藩の徳川斉昭も牛肉が好きだったようで、
 1835年(天保6年)に贈った記録があります。
 斉昭は、彦根藩から献上される近江牛の味噌漬けを好み、
 毎回の献上を楽しみにしていましたが、
 井伊直弼は、大老になった際に領内での牛の屠殺を禁じ、献上をやめてしまいます。
 斉昭は、使いを立てて何度も再開を要請しますが、井伊直弼はまったく応じず、
 遂に、斉昭自らが江戸城で井伊に懇願するに至ります。
 しかし、直弼は、牛馬を殺生するなどとは野蛮人のすることだと斉昭を嘲笑し、
 断ってしまいます。
 これに対して、斉昭の家来である水戸藩士たちは、
 主君を愚弄し恥をかかせたと激怒し、井伊を襲う事になったとの事です。

 水戸庶民は、桜田門外の変のことを
 「烈公(斉昭)の肉の怨みを水戸藩士が討ち晴らした」
 「すき焼き討ち入り」「御牛騒動」と言っていたとの事です。
 桜田門外の変の僅か10日後に出版されたという瓦版には、
 桜田門外の乱闘が描かれ、中央に牛の首の絵が、
 左下方に「モウ御免と桜田門」、「食べ物の恨み恐ろし雪の朝」
 「大老が牛の代わりに首切られ」と詠まれているとの事です。

 井伊直弼と徳川斉昭は、将軍継嗣問題で激しく対立します。
 斉昭の実子の一橋慶喜を推す派を退け、
 紀州藩主徳川慶福を将軍とし、家茂となりますが、
 そうした政争が牛肉の話に仮託されて庶民には伝わっていたのかも知れません。

 桜田門外の変については、その後日談もあるのですが、
 長くなりますので、下記にアドレスを貼って置きます。
 少し陰惨な話なのですが、興味のある方はご一読下さい。
 https://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/e/40979c6385789073a07de6441257745b


【今日の一句】
 定番に 犬の卒倒 ワンパターン


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