コミュニケーションのワークショップでやったことは、「傾聴と受容」です。
それには、当然、悩みを訴える患者役が必要ですし、設定が必要です。
「私は、(飼い犬の)豆太郎が生きがいです!」
身寄りがない高齢者女性をアドリブで演じ、みんなを爆笑させた人の話を昨日しました。
設定が面白いということもあります。
別の人が、
「設定は、ヘビースモーカーでゲーム依存症の患者です。名前は、新藤修一さん。東芝川崎エンジニアリングの工員さん。サレジオ高専中退。50歳。独身。」
「東芝川崎エンジニアリング」という会社名は架空のもんですが、
これも、みんな、爆笑です。
「豆太郎」と同じで、あまりにもリアルだからです。
リアルなものが面白い。
たとえば、ニューハーフショーパブでメンバーの紹介の時に、あるブスで巨体のオカマを、
「この人、前はイトーヨーカドーの業務部長だったのよ」
と司会者が紹介して笑いを誘っていたことがあります。
設定がリアルだとその中に入って行く。
そして、安心して笑うことができる。
ベルグソンが言うように、笑いはその対象を他者だとすることだからです。
下ネタに対して人が笑うのは、自分がそうなりかねないという不安から逃れるためです。可能性としてはありうる、ゼロではないが、自分は違うということです。
「可能性としてはありうる」という条件が必要ですから、リアルな設定だからこそ笑えるのでしょう。
ワークショップでいい味を出した人は、世間を無意識のうちに実によく観察しています。そして、聞いている人にも無意識のうちにインパクトを与えたことでしょう。
大道無門
千差路(みち)有り
此の関を透得(とうとく)せば
乾坤(けんこん)に独歩せん (『無門関』)
真理を会得する方法に、特定の門、すなわち、方法というものはありません。
単位を取りたいでも、みんなに受けたいでも何でもいいから、必死になって何かをやれば、
「乾坤に独歩」する、すなわち、自分独特の認識を得ることができるでしょう。
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