曙太郎さんが心不全で死去 享年54 全日本プロレス「曙さんのファイトや人柄は多くのファンを魅了してきました」
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第64代横綱曙太郎、亡くなる、ですか。米国ハワイ州出身で、昭和63年の三月場所で初土俵、ハワイ出身力士のフロンティア的存在で、幕内優勝を一回経験した元関脇高見山の東関部屋(当時)に入門、同期入門の貴花田(→第65代横綱貴乃花)、その兄の若花田(→第66代横綱(三代)若乃花、現在の花田虎上)、大関に昇進した魁皇(現在の浅香山親方)らと鎬を削る出世争いを続け、平成5年に若貴に先駆けて横綱(外国人力士として初)に昇進、2mを超す長身を生かした強烈な突き押し相撲で活躍し、通算11回の幕内優勝を記録しました。特に、「若貴ブーム」と言われた平成前期の大相撲の主役の一人として最大のライバルたる貴乃花との熾烈な出世争いを演じたことは記憶に深く、両者の通算対戦成績は25勝25敗(優勝決定戦含む)の拮抗した数字を残したほどでした。
その一方、やや腰高なのが災いしたのか下位力士への取り零しも少なからずあり、全勝優勝の経験は無し。特に曙が苦戦したのが元関脇の貴闘力で、最終的には29勝15敗(優勝決定戦含む)となったものの横綱昇進当初はなかなか勝てず、貴闘力が挙げた9個の金星中曙から7個と、カモとされていたこともありました。
そんな曙ですが、日本国籍取得後、膝の怪我に苦しみ、平成13年に現役引退。親方になっていた時期があったものの、プロレスに転身していたようですが、近年は心不全などで体調を崩し、意識障害もあったようで、体調不良が長く続いたのは残念な感じがありました。人懐っこくて多くの人に親しまれていた人気力士だった曙だけに、当時の大相撲を彩った多くの力士から、その心不全による死を悼む声が上がりました。第65代横綱貴乃花からは「哀悼の意を表します。数々の闘いの思い出がありますが、相撲教習所に半年間通った頃の稽古の思い出が出てきます。土俵は3つあり130名ほどでA土俵B、Cと分かれます私たちは、A土俵において猛々しく取組に励みました。ハワイ諸島から来日し今日に至るまで日本の文化を感じて幾多の苦労があったかと思います。ハワイ巡業の際には地元ご家族も来ており、穏和な挨拶を交わしたことは新しい記憶のように思い出しています。百折不撓の人生観だったと思いますが、これからは身を楽にして安らかに 第六十五代横綱貴乃花光司」と、第66代横綱(三代)若乃花からは「突然のことに送り出す言葉が全く見つかりません。 お互い協会から離れて頑張ってきたけど 離れていてもいつも心にいました。切磋琢磨してライバルとして戦ってきた分愛情が深く 言葉では言い表せないものがあります。また会いたい気持ちが強く 歳を取ったらハワイの木の下で同期生皆んなで会おうと曙と話していた その約束も果たせずただただ寂しいです。ゆっくり待ってて ハワイの木の下でまた会おうね 会いに行くね」と、ハワイの後輩横綱である第67代横綱武蔵丸からは「今はショックな気持ちが大きいです。心からご冥福をお祈りいたします。Thank you Bradda.」(Bradda:仲間、親友の意)と、浅香山親方(元大関魁皇)からは「若貴兄弟に本当に対抗できたのが曙さん。人に対しての優しさがあり、同期生と話す時の楽しそうな笑顔が印象的だった」と、そして、若き日の曙に稽古を付けたことがあると言う八角理事長(第61代横綱北勝海)は、「何度も転びながら、もう一丁、もう一丁と挑んできたのをよく覚えている。とても根性があった」と、その人柄を偲び、数々の大相撲の人々から追悼の言葉が上がっています。
こうした人々の言葉を読むと、曙がいかに人々に親しまれたのかが解る感じがあります。一方、師匠だった元高見山の東関親方(先々代)は、曙、そして、その前に自身の後継者としていた潮丸(元前頭十枚目、1978〜2019)に相次いで先立たれ、その点では幾らか不憫なところがありますね。
それにしても、享年54はなんとも若いです。合掌。
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