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2023年09月14日09:21

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やっちゃん回想録 11ー4 女子学生 番外 才能と一般性。 特選

番外編です。

昨日の投稿ですが、
マイナーな作品の再販を取り上げました。
これが結構、面白い問題です。

音楽の場合、多くの人に受け入れられれば受け入れられるほど、作品の価値が高いと言えます。モーツァルトやショパンは、広く受容され、非常に価値があります。
普遍性といいますが、その通りです。

ところが、文芸のラブストーリーはどうでしょう。
普遍的でない方が価値があります。
現実の異性だって非常に特殊な存在ですし、出会う状況もそうでしょう。

たとえば、『伊豆の踊子』
国民的ラブストーリーですが、かなり変な話です。
一高生の生きる文脈と、家族で流浪する踊子の文脈は全く違います。やがて水揚げされて、一座の稼ぎ頭になる踊子。文脈がすれ違うからこそ、主人公は手を出さなかったということです。
(主人公が踊子をもらい受けたら、一座は困窮します。また、踊子はいずれは市井の女房になるでしょう。その二つを避けた。いやいや、それは読者である私の「自己語り」なのかもしれません。)

違う文脈のものを違うまま認める。それ以上、侵入しない。これは、ある種の戦前の男の徳性です。きっと、日比谷公園焼き討ちや震災時の朝鮮人虐殺(違法性ももちろん、何の知識も見識もないのに天下国家を語る志士になったかのように自己陶酔する輩ども)などに対する、「田舎者」という侮蔑の心もあったとおもいます。
それを是とするも非とするも、この主人公の心は複雑であり、一般化できません。

ですから逆に言えば、『伊豆の踊子』は踊子の物語である以上に、主人公の一高生の物語だと言えます。
大学の演習に使われるなど、ある程度質の高い読者ができると、この物語が特殊でありだからこそ感銘を与えるなどの近代文学的な読みを述べる人も出てきます。川端は何しろノーベル賞を取った人ですから、研究されていますが、川端本人はマイナーな世界を追求した人です。彼の作家としての幸福は、マイナーな個人の世界がメジャーに見えたということでしょう。

小論文を担当し、才能が輝いていた女性が三人いました。
一人は専業主婦、一人は家事手伝い、一人は行方不明です。
もしも彼女らが本気を出したら、川端以上のマイナーな世界の追求になるでしょう。

一般的な大衆作家にはならない人です。だから書いていません。
読者がいないのですから、彼女らのことをわかるのは、配偶者でしょうか。

世に出ないということは、世を否定することでもあります。くだらない世界に染まらないこと。中には、稲垣足穂、椿實など、マイナーで在りながら作品を残した人もいます。しかし、それは例外ですから、配偶者など一部の人が分かればいいと思います。
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