夜が暗い。エジソンが電灯を発明した。暗かった夜から解放された人々は、喜んだ。だから、不便だった状態が、便利な状態の存在意義になっている。
という理屈は、見やすいです。
しかし、真相はもっと深いのではないでしょうか。
たとえば、太陰暦。
月の運行は、潮の満ち引き、月経などの重大で神秘的な事柄と関係が深かったから、一見正しいように見えました。しかし、季節を語るものとして正しいのは、太陽暦です。
不便だった状態が便利になる。
これも限りなく正しいように見えて、ちょっと違うと思います。正しいのですが、浅きに失しています。
今日、理髪店に行きました。
脇と後ろを刈り上げています。きれいになりました。そこで「アッ」と気が付きました。
なぜ、キレイに見えるのでしょうか。
長髪を汚いと定義した場合です。短くしたからといって、せいぜい、近頃のような夏場に便利だというだけの話ですし、清潔とは原理的に違う問題です。短髪で不潔だから臭い人もいます。逆の人もいます。
エジソンの電灯とはわけが違います。
美意識は、差別である。
(だからこそ、ヒットラーは美にこだわった)
自己肯定は他者への軽蔑である。
(だから、郷土愛や愛校心などは、もってのほかである)
だから、子どもに学費をかける、趣味などに金をかけるということと、
「欲張り」「鼻持ちならない俗物」であることは、切り離せる。前者は絶対的な価値の追求であるが、後者は相対的な価値を追求するものだからである。
快楽の総量と不愉快なことの総量は決まっている。個人の中でも、世界全体でも。
だが、ある快楽を追求する場合、他人から奪うことなく追及するという途もある。その一番わかりやすい例が勉強だ。
…といろいろ考えています。
個人指導を頼まれている非常に優秀な高3女子が、
「インターネットの最大の害悪は、全く意義がないことをしているのに、『私はすごいことをしている』と思い込まされるところにある」
という答案を書いて、ショックを受けました。それからいろいろ、考えることが多くなりました。
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