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2021年11月12日18:09

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洛中・・・

 今日の日記に何を書こうかと思い、ネットの記事を見ていて、
 江戸時代に洛中と洛外の境目にたった標識「洛中碑」を思わせる石碑が、
 京都市下京区七条通大宮西入ルの京菓子店前で見つかったとの
 京都新聞まいどなニュースの記事に興味を感じました。
 石碑は高さ180cm、幅と奥行き18cm四方との事で、
 京菓子店の前の植え込みに埋もれているのを、
 歴史愛好家が発見したとの事です。
 碑には、「是より洛中 荷馬口付のもの 乗へからす(乗るべからず)」と、
 市中に入る時は馬から降りるよう求める文字が刻まれているとの事で、
 専門家は、実物の要件は整っているが、模造品も多くあったので、
 断定は出来ないと言っているようです。
 洛中碑は、京都町奉行所が関わり、1695年に木杭30本がたてられましたが、
 1717年までに石柱化されたもので、近代化でほぼ撤去され、
 現在は十数本が市内の小学校や神社に保管されているとの事です。

 洛中とこれに対する洛外と言うと、
 井上章一さんが著した「京都嫌い」を思い出します。
 井上章一さんをご存知の方も多いかと思いますが、
 専門は日本の建築史ですが、風俗などについての研究を行っていて、
 現在は国際日本文化研究センターの所長をなさっています。
 多くの著作を著していますが、物の見方が面白くかつ実証的なので、
 好きな著作者の一人です。
 「京都嫌い」は、
 京都市の洛中に生まれ、嵯峨に育って、現在は宇治市に住む井上さんが、
 洛中に住む人達から一段下に見られる鬱憤を吐き出したようなエッセイです。
 しかし、洛中をどの辺と考えるのかは、
 京都の地理に詳しくない僕には今一つピント来ませんでした。

 少し調べてみたら、時代によってその範囲が変わっているようです。
 平安時代は必ずしも洛中が明確ではなかったようですが、
 中世に入り、鴨長明が『方丈記』の中で、
 「京ノウチ」を「一条ヨリハ南、九条ヨリハ北、京極ヨリハ西、朱雀ヨリハ東」と
 記しているとの事です。
 安土桃山時代になり豊臣秀吉が政権をとると、
 上京と下京を分かっていたそれぞれの構えを撤去し、
 代わって「洛中惣構え」として御土居を構築しました。
 これには打ち続く戦乱でその境界が定かでなくなっていた「洛中」の範囲を
 新たに定める狙いもあったとされているようです。
 江戸時代、わざわざ洛中碑を建てた事で、洛中の意識が定着化し、
 そして、井上さんが言うような差別意識が生まれたのかも知れないと思いました。

 ちなみに、この「京都嫌い」も面白いとは思いましたが、
 その続編の「京都嫌い 官能編」の方が
 京都と言う街の実態が分かるような気がしました。
 
 なお、明日は所用により日記などを休ませて頂きますので、
 お含み置き下さい。


【今日の一句】
 まだあります 言いたい事に したい事


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