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2021年08月15日09:47

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歌謡曲がシンプルな時代。シンプルな生を信じられた時代なのか。

ジェリー藤尾さん死去、81歳 「遠くへ行きたい」大ヒット
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=6629251

昔の大ヒット曲で気になるものは、
『遠くへ行きたい』と『太陽がくれた季節』です。
ともに、青春の典型と向き合った歌だと思います。

『太陽がくれた季節』は、若者が若者なりの基盤を構築する歌です。『飛び出せ!青春』のドラマに即すと、あの歌詞が青年教師の村野武範が語ったものであれ、生徒たちが語ったものであれ、同じことです。失恋や不和というイニシエーション。仲間の生成。

『遠くへ行きたい』は、巣立ち、家出、渡り修行、放蕩…という鬱陶しい故郷から離れて逃亡したいという、青春期の心理を歌っています。
「どこか遠くへ行きたい」それは、直接には、東京や大阪ではありません。
しかし、「どこか」。どこでもいいが特定のどこではないという、その「どこか」性が一番強い場所は、やはり、都会だと思います。

ジェリー藤尾さんは、一時期、「知らない海を眺めてみたい」とうたっていたそうです。それを作詞者に「眺めていたい」が正しいと注意され、改めてこの歌の深さがわかったと述べられました。
知らない海には何もありません。だから、海を見ることはどうでもいいことです。むしろ知らない海に来たという浮遊感にわが身をゆだねること。確かに「眺めていたい」の方が正しいと思います。

1962年。ということは、青春期にリアルでこの曲を聞いた人は70代です。
私などは後からこの曲の詳細を知ったのですが、歌い手がジェリー藤尾さんだったというのは、非常に、意外でした。
むしろ、ATG映画に出てくるような、土俗的なものを引きずりながら、東京に吸い寄せられる暗い優男がイメージとして合います。

東京に家出した、進学した、東京でなくても渡り職人となって店から店へと修業した、放蕩した…という人も(男女とも)知らない人と巡り会って、愛しあうかもしれません。しかし、時を置かずに他の問題(生活や子育て)にからめとられて往時の輝きを失います。つまり、虚無から虚無に転落します。しかも最初の虚無はゼロですから、高いところからの転落ではなく、フラットな底辺から底辺です。だが、そこに何かあると思ってしまう。錯覚の美しさこそ青春なのでしょう。

ジェリーさんの壮絶な人生は、素晴らしいものも不幸なものもパンパンに詰まった有から、市井のチンピラや下っ端のヤクザを演じたら右に出る者はいないという俳優人生と、波乱があった結婚生活という、やはり有に展開したと思います。そこに、ジェリーさんは何を見たのでしょうか。

ご冥福をお祈りします。




資料
『太陽がくれた季節」

君は何を今 見つめているの
若い悲しみに 濡れたひとみで
逃げてゆく白い鳩 それとも愛
君も今日からは
ぼくらの仲間
とびだそう 青空の下へ

君は何を今 待ちつづけるの
街の片すみで ひざをかかえて
とどかないあの手紙 別れた夢
君も今日からは
ぼくらの仲間
とび込もう 青春の海へ

青春は太陽が くれた季節
君も今日からは ぼくらの仲間
燃やそうよ
二度とない日々を…
燃やそうよ
二度とない日々を…



『遠くへ行きたい』

知らない街を 歩いてみたい
どこか遠くへ 行きたい

知らない海を ながめてみたい
どこか遠くへ 行きたい

遠い街 遠い海
夢はるか 一人旅

愛する人と 巡り逢いたい
どこか遠くへ 行きたい

愛し合い 信じ合い
いつの日か幸せを

愛する人と 巡り逢いたい
どこか遠くへ 行きたい

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