mixiユーザー(id:12410478)

2021年02月26日10:28

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江戸時代の方が、百倍マシだ。全てが、政府がアフォだからだ。

佐渡を旅したことがあります。名所は、佐渡金山です。
無宿者として狩りだされた人足がどのようにして生活したのか、詳しい展示がありましたが、
衣食住保証、日当五千円 という待遇だったようです。

意外と知られていませんが、江戸時代の都市部(佐渡金山の労働力の供給元)は、能がない人でもギリギリ食える環境にありました。佐渡の無宿の待遇も、それに合わせたのです。

では、普通の庶民層はどうだったかというと、
化政、天保のころ(1800年代前半)は、無宿者や日雇い労働者以上の生活、やはり、多少の余裕を持って生活していたという判断が正しいようです。

その根拠はいろいろあります。

すぐに思いつくのは、
川越藩の寺子屋の分布図です。
今の東上線の川越と所沢の間くらいの、70平米の中古一戸建てが一千万切っているような田舎にも、寺子屋がありました。食うや食わずやなら寺子屋の月謝は払えません。

また、稀覯本の収集で有名な、公益財団法人無窮會の神習文庫には、「救荒…」(「荒」は作物が取れないこと。不作のときどうするかとうこと)というタイトルの本が複数あります。飢饉になったときの、野草などの代替食物の本です。版画により、植物などの姿が精密に描かれています。中には、蛙の捕まえ方の本すらあります。当時の和本は、どう安く見積もっても、一冊五千円くらいもします。米がないから、本を買うと。
要するに、飢饉は襲って来ましたが、平成の米騒動のように、庶民の懐に金はないわけではないが、市場ににコメが出て来ないという現象です。米が全く取れなかったら農家は無収入になりますが、それを買う町人は必ずしも飢えていなかった、農家にしても、米さえ取れれば飢えなかった…というところが正しいと思います。

飢饉は人が餓死するというイメージがありますが、政策次第です。年貢を負けるのは当り前ですが、それ以上の対策が必要です。大坂のように、大塩平八郎の乱がおきるほど酷い悪政がはびこった地域もあれば、そうでない地域もあります。

天保の大飢饉のときの、江戸のお救い小屋は、七十万人も収容しました。
また、米沢藩では、無窮會の神習文庫にあるような「救荒」関係の知識を使い、食事を指導し、義倉として蓄えてあった食い物を放出して、餓死者を防ぎました。

翻って今、
お救い小屋(ベーシックインカム)は、たった一回、たったの十万円。
年貢免除(所得税や大学の学費の免除)は、ナシ。
救荒と義倉(炊きだし)は、池袋や上野などで、ボランティアが細々とやっているだけ。

江戸時代よりひどい状況です。
(現代の失政を隠すために、学校では江戸時代のことをことさら悪く教えていると思いますね。)

それで、牢屋に入れられたら、たまったものではありませんね。。

※ 写真は米沢藩で配布された、『かてもの』という救荒食のマニュアルです。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1183113
このページだけでも「ゆり」「三つ葉芹」「車前草」など、知っているものも見出しに列挙されています。救荒食から、おいしいから、普通のおかずに昇格したものもあるでしょう。


■コロナ禍、若者に迫る「闇バイト」、大きすぎる代償「ほぼ実刑」「3万円で人生棒に振るな」
(弁護士ドットコム - 02月25日 10:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=6424733
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