ヨハネ黙示録には、「男同士寝る者」は天国に行けないという趣旨のことが書いてあります。教義を勝手に変えることになります。
どうも、二十世紀後半以来の、キリスト教の動きをみると
人道主義とキリスト教の二つがあり、前者が優位になっている印象です。
キリスト教は宗教である以上、絶対です。
その絶対を、プロテスタントの「利潤追求の自由」というように恣意的に読み替え、その結果、アメリカを中心とする世界は悪くなる一方となりました。
人道主義を吸収するか、否定する、無視するしか道はないと思います。
その点で、極めて頭の切れがシャープだったのは、イエスキリスト(あるいは、主としても、福音書の作者としてもいいですが)です。
「カエサルのものはカエサルに。そして神のものは神に」としています。反対派が政治犯として検挙しようとしていて、それを免れるためのものだったともいわれていますが、これなら、問題はありません。
つまり、現世の正義の実現と、来世の救いを別立てにし、同性愛者の法的保護などをカエサルの領域とするしか、途はありません。
同性愛者の権利保護は、聖書が反対していることであり、人道主義から教わったことだからです。
人道主義は、教義ではなく経験則です。
たとえば、殺人。犯人が復讐される、犯人は身を全うしても子孫の代で復讐されるなどのことがあり、まずいから禁止されたという話です。
福祉なども、内需の拡大や治安の維持という役割があります。
放置すると、人間の経験が神の教えに勝ったということになり、長い目で見ろと、必ず、カソリックは衰退します。
後は、乗るか反るかですが… 同性愛者を切り捨てることでしょう。そのくらいしか手立てはありません。
■ローマ教皇「同性愛者の法的保護を」 歴代初の見解か
(朝日新聞デジタル - 10月26日 15:32)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6282701
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