mixiユーザー(id:12410478)

2020年03月17日08:57

201 view

学生街の定食屋は、特別な存在です。

浦和高そばの中華料理店が全焼
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6011129

神保町のさぶちゃんやいもや、早稲田の金城菴やミキ、(メジャーになったけど)三田のラーメン二郎、お茶の水のキッチンカロリー、本郷のもり川…など、学生が集まるところには、学生御用達の店があります。

母校に立ち寄って「帰ってきた」と思えるのは、そうした店ですね。
母校まで、教授に会いに行ったことはあります。しかし、教授との個人的な関係です。
学生の波の中にも溶け込むことはありません。
というよりも、もう二度と帰ってこない決定的なものだからこそ、学生時代という特異な時期があります。

あのころは、飢えていました。
この飢えは、性的なものや、若いから飯をいくら食ってもきりがないという飢えもあります。そういうものが満たされても、飢えから解放されるわけはありません。
だから、やりたいことが見つからないという飢えが、当時の飢えの正体だったと思います。

学生のころはそういうことと自分なりに苦しんで格闘していたので、かつて学んだゼミ室のような空間に戻りたいとは思えません。
かつて救急車で運び込まれたICUを訪れたいとも、訪れたとしてもそこで「懐かしい!」とも思わないだろうということです。

余談ですが、
対象を別の切り口から考えないと、やりたいことはみつかりません。
たとえば、最近、ある特殊なテーマを紀要論文にするために考えていました。言語能力の涵養というのが、およそのテーマです。
しかし、これは何学だろうか。と思っていたとき、ある後輩が、「やっちゃん学だ」と主張すればいいではないかといいました。もちろん、取るに足りないものだからこそおちょくって言ってる言葉です。
しかし、なるほどと思いました。独自の方法がないと究明できないなどと主張するのが、一番楽です。

ところが、大学で単位を取るだけでは、そこがみえない。別のものを作ればいいだけなのに、それをしないからこそ、教員がやっていることがつまらなく見えるのですね。
他の文系の学生の99%と同じです。タコつぼのようなところに、甘んじて入っていこうとしたのが、間違いだったと思います。

葛藤から無縁のものは、学生街の食堂です。そういうところに行くと、心底、「帰ってきた」という思いがします。

先日、学生時代に通った店に行きました。
そうしたら、一部上場企業部長風の男性が出てくるところで、「うまかったよ。学生のころと同じだね。」とおっしゃっていました。

この方は知りません。恐らく同じ大学の出身ですが、同級生ということはないでしょう。
だからこそ、そういう、他人が見知らない影のひとつだった、この店は学生時代そのものです。この方は知っている方ではないがなぜか懐かしいという事実が象徴していると思います。
横の人間関係が何ら担保することがない、本当に、一人で考えなければならない時代でしたから。

高校生の集う定食屋は、また、別の要素があるでしょうが、
出入りする学生の心に深く刻まれるのは、間違いないでしょう。

ご冥福を、心からお祈りいたします。

7 5

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年03月>
日 月 火 水 木 金 土
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031