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2019年03月16日07:58

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近代登山とは似て非なる、精神のよりどころとしての高山。ライチョウを守ろう。

ライチョウは見たことがあります。
新潟県の長野県よりの、妙高という山の頂上付近です。

ライチョウの現在の分布図をみると、ちょうど北限辺りです。

ハイマツの種子を拡散させたり、有機物を土壌に還元したりという、高山生態系で、一定の役割を果たしています。高山生態系が守られるということは、森林が守られ、川や沿岸が守られるということです。
ですから、ライチョウを守ることは、地球を守ることでもあります。

昔から高山は、神聖な場所でした。
ですから、昔の人は、山はレジャーの場所ではなく、宗教的な修行の場と捉えました。

ヨーロッパの近代登山は、カソリック権力への反発と批判という含意があります。中世ででは、登山は火あぶり。教会より高いところに登るからです。近代になって、主と人間が直につながるという発想が生まれ、人間の力を試したいと、登山が流行したのだと思います。

しかし、近代登山やレジャーとしての山登りは、あまり良いものではありません。
ライチョウの新しい天敵、カラスなどは、登山者の捨てた生ごみにつられて高山に行くそうです。

後鳥羽院の詠歌
しら山の松の木陰にかくろひてやすらにすめるらいの鳥かな
藤原家隆の
あわれなり越の白根にすむ鳥も松をたのみて夜をあかすらむ

も、実際に後鳥羽院や家隆が登山したのではなく、白山信仰者が都にも多くいて、一種の歌枕として詠まれたということでしょう。
もちろん、高い山に登って自分の力を試すだの、ビール飲んで弁当を食うなどの発想はそこにはなかったです。

高山信仰というと、白山権現など、高山で人が感知した神々が対象ですが、
科学的に説明がつくことであれ宗教的にであれ、あるビジョンを、集団的に感知するということは、よくあると思います。


ライチョウの一般公開始まる
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5539264


ここしばらく、予言のことを調べていました。

外れる予言もあります。これは、予言者がインチキだったなどという理由で、簡単に説明できますが、当たる予言はどう考えたらいいでしょうか。

たとえば、911は、イルミナティカードなど、多くが予言しています。イルミナティカードは、トランプ大統領の顏まで描いた予言があります。
HGウェルズの、「日本に二発原爆が落ちる」などは、偶然の一致では説明がつかないでしょう。

私は、神や悪魔など、超自然的な存在を設定して考えるのは、無理があると思います。

思うに、人々が共有するビジョンがあり、そのビジョンは、現実にも実現し、そこにアクセスした人は、予言を達成できるということではないのではないでしょうか。
アカシックレコードなるものをネタだといった、エドガー=ケイシーなど、予言者とされている人自身に、そういうことを述べる人が多いです。
(ユングの「集合的無意識」が有名ですが、ユングが登場するはるか以前から、そういうことは言われてきました)

高山で修業した人は、どうも共通するビジョンをみていたようです。
高僧の誰それが言ったから、そこに神様がいることにして、仕方がないから山を登ったのではありません。

ビジョンを感知する原初的な精神の場が、ライチョウが飛ぶ高山だったのではないでしょうか。

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