戦前、結核は一つの文化でした。
スーザン=ソンタグの『隠喩としての病』に詳しく書かれていますが、
ガンのような、ネガティブなだけの病ではなく、美しい病でした。
昔は、テレビもゲームもなかったので、「新青年」や「キング」のような大衆雑誌が人々の娯楽の大部分を担っていましたが、恋愛小説のネタで最も登場した一つが、肺病(結核)です。
「君を抱きたいけど、病気を伝染すといけない…」
「いや。私はあなたと同じ肺病で死にたいの。抱いて…」
という類の御涙頂戴の展開が容易である上に、終りが描きやすいからです。
昔の大衆雑誌は、アンケート至上主義(少年ジャンプか、代々木ゼミナールか(笑)の上に、編集者の、これを書いてほしいという意向が強かったです。
江戸川乱歩のように、身を全うしたのは、例外中の例外。
多くは、出版文化という資本に振り回されました。
何しろ、飯の種が限られていた時代です。
斎藤緑雨ですら、旧知の幸徳秋水に斡旋してもらった、部数が少なく大衆雑誌ではない平民新聞の稿料が貧窮した時の生活の糧だったほどです。
実は、発表手段を持っていた(つまり、生産手段を持つという意味でブルジョワだった)というところが、周囲の反対を押しきって管野スガとの同棲(ダブル不倫)をはじめて、ひいては、大逆事件に巻き込まれていく…という幸徳秋水の背徳と悲劇がありました。
皮肉にも、死刑を求刑したのは、平沼騏一郎先生。わが無窮會の創設者です。私の研究員の辞令は、平沼赳夫先生名義です。
私は、幸徳の事跡をみると、やはり、この世は大変だ、人は信頼できない…という感を抱かざるを得ません。
私は無政府主義者でも共産主義者でもありませんが、幸徳秋水研究をやるなら、彼を発表手段を持っていた「ブルジョワ」であったという視点が必要だと思っています。
だから頭目として官憲に狙われたのでしょうし、管野という悪女がすり寄って来て、獄中にいるスガの夫、同志荒畑寒村にむごい仕打ちに当たる彼女との同棲をしたのでしょうし、だからこそ、仲間に巻き込まれた(仲間が幸徳を巻き込んでいいと思った)のかもしれません。
何のことはない。ある角度から見ると、王様のような中小企業の社長の栄光と悲劇ともとれます。
革命家や篤志家だからといって、清廉とは限りません。組合運動をやっている友人に言わせると、「弾は後ろから飛んでくる」のだそうです。味方から裏切られるということです。
もちろん、幸徳は無実であり、死刑は、管野スガとの不倫の代償としては重すぎますが。
今は、「新青年」的な大衆雑誌はなくなりましたが、「平民新聞」などの思想誌の発禁もなくなりました。
結核も特効薬が出来ました。
もちろん、明らかにいいことです。
実は、親族に、戦後すぐに三兄弟が結核にかかり、当時、出始めだったスプレプトマイシンのお蔭で、辛くも助かったという家があります。親御さんの気持ちは、如何ばかりだったでしょうか。
しかし、
結核は、まだまだ、過去の病気ではないようです。
そして、冤罪で死刑にこそならないでしょうが、幸徳らの平民社のような人間関係は、未だ絶えていないようです。
また、言論の封圧も頭をもたげてきました。
■結核の医師、発覚直前まで診療 380人に感染リスク
(朝日新聞デジタル - 07月19日 14:39)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5206828
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