先日狂言を観に行った事は日記に書きました。
能や狂言を観に行った事がある方はお分かりの事と思いますが、
能や狂言では、拍手をするタイミングがありません。
先日小舞を観ましたが、
その小舞も舞い手2人が出て来て、その後ろに地謡方4人が舞台に上がります。
全員正座して礼をするのかと思いましたが、すぐに舞いが始まりました。
1人目の舞いが終わると、2人目の野村万作さんもすぐに舞い始めました。
そして万作さんの舞が終わると、全員クルっと後ろを向いてそのまま舞台を降りました。
観客は、後姿に向かって拍手をしました。
能も狂言も、演技が終わると、そのまま静かに橋掛かりを進み、
揚幕が音もなく上がって終了になります。
当然の事ですが、アンコールもありませんし、カーテンコールもありません。
演奏会や舞台などで観衆が拍手をするのは、日本の古来からの習慣ではありません。
明治時代中頃までは、雅楽、能、狂言、歌舞伎などでは、
観客は拍手をしませんでした。
もちろん日本人が拍手をしなかった訳ではありません。
神社などで神に祈る時に柏手と呼ばれる拍手は行っていました。
手で音を出すのは、神への感謝や喜びを表すためのものです。
願いをかなえるために神を呼び出し、邪気を祓うためともいわれています。
更に古く、魏志倭人伝には、
貴人に対し、跪いての拝礼に代えて手を打っていたと記されていて、
当時は人に対しても拍手を行っていたようです。
古代では神・人を問わず貴いものに拍手をしたのが、
人に対しては行われなくなり、神に対するものが残ったのかも知れません。
明治時代初期まで、能や狂言、歌舞伎なども含め芸能に携わる人達は、
河原乞食と呼ばれ、蔑まれていた訳ですから、
その人達の演技に拍手する習慣がないのも分かるような気がします。
では、いつから舞台などで
観客が拍手をするようになったのか気になります。
永六輔の「芸人その世界」によると、
1878年(明治11年)、守田勘也が新富座を建設して、
同年6月7日の開場式に、
太政大臣・三条実美をはじめ各外国公使らを招待した際、
これらの外国人達が、マナーとして拍手したのが最初との事です。
永六輔の言によると、
1911年(明治44年)に、西欧風の帝国劇場が完成した頃には、
拍手が定着したとの事です。
なお、この本の別の箇所には、六代目尾上菊五郎の言葉として、
「手を叩いて喜ぶのは池の鯉だ。池の鯉みたいな役者は嫌いだ。」が
載っていました。
六代目菊五郎は、1885年(明治18年)に生まれた歌舞伎役者です。
大正から戦前にかけて活躍しましたが、
拍手をしなかった頃の歌舞伎が好きだったのかも知れません。
2016年9月に、中村紘子さんを偲ぶ会に、仕事の関係で出席した事があります。
会では、追悼の言葉を述べた所縁の方の外、
何人かの音楽家が献奏を行いました。
司会をなさっていた檀ふみさんから、
故人に捧げる演奏なので、
参列者は拍手をしないようにとの注意がありました。
なるほどと思いましたが、
拍手をしないと演奏が終わったような感じにならないのも間違いありませんでした。
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