条件や限定付きで正しいものはあります。
また、間違っているものもあります。
また、検証できないから正しいとされないものもあります。
しかし、無条件で常に正しいものはありません。
(歴史を振り返るとよくわかります)
その辺りが理解できるかできないかは、どれくらい勉強するかにかかっていますね。
だから、この悩みを抱えた人は、不勉強の一語に尽きると思います。
問題は、理屈ではなく実感だからです。
次は『証道歌』ですが、興味がない人は飛ばしてください。
…一超直入如来地 但得本、莫愁末 如浄瑠璃含宝月。我今 解此如意珠 自利利他終不歇。江月照松風吹 永夜清宵何所為 仏性戒珠心地印 霧露雲霞体上衣。降龍 缽 。解虎錫。兩鈷金環鳴 歷歷 。不是標形 虛 事持。如來寶杖親蹤跡。不求真。不斷妄。了知二法空無相。
仮に大意を取ります。
…(頓悟禅の修行をすれば)直ぐに如来の境地に直入できる。ただ根本のことを得るべきであり、枝葉末節のことを愁えてはならない (その如来地は)浄瑠璃の宝珠に月が映っているようなものである。江月は照らし松風が吹いている。この長い宵をどうするのか。いやどうにもならないではないか。私の仏性には既に戒が具わっている。霧、露、雲、霞が付いた衣服を着ているようなものである。仏陀が火竜を封じ込めた鉢を持ち、猛虎をなだめた錫杖をつく。両鈷の金環はいつも確かに鳴っているのだ。 それらの鉢や錫杖はただ形式的に持っているのではない。仏祖が歩んだ古道を歩み実践するためである。私は真をも求めず、妄をも嫌わない。真や妄などの二項空なるもので姿が一定しないと悟っているからだ。
最後の部分は、人事百般の現象に当てはめると、よくわかります。
節約
個人を富ませるが、全体を富ませない。
限局的なことに有効なものが、全体と矛盾することなどたくさんあります。
一定しないと悟れば、正しさにこだわる気持ちは、失せるでしょう。
■「自分が常に正しい、という考えを直したい」という悩み 妥協することがストレスになるのなら、もう直さなくていいのでは
(キャリコネ - 01月14日 10:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=4942332
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