この話題は、商売だから書きます。
本当は、塾と予備校は違う。特に、大手予備校と零細塾は違う…という問題があるのだけれど、大雑把に同一視します。
また、一日一日記が方針ですが、今回は、例外にします。
1 教育法というものは、屁理屈であり、全く取るに足らないこと。
なぜ、塾が流行るか…というと、教育法の汚染を受けていないからだ…とも言えます。
この記事に例示されている中国の生産物云々が、すでにそうです。
【 「中国の主な工業製品はどんなものですか?」。社会科を教える塾講師が生徒に尋ねるこのシーン。塾講師検定(塾検)の受検者向けDVDでは、良くない例として示される。
「中国の工業製品についてクイズをやります。五つ書くので、世界一がいくつあるか予想して下さい」という問い方が「正解」。塾検を手がけ、DVDをつくった全国学習塾協会(東京都)によると、「生徒の興味を引き出す工夫をしている」という。 】
明らかに、おかしいでしょう。
ヒントを出したら、簡単になるから、出さないほうがいい…という状況判断もありますからね。
これを作ったのは、年配の経験者でしょう。その、わずかな成功体験や、思い付きでひねり出した技術に過ぎません。
例えば、
年配の男が、女性をデートに誘う方法を書いたとします。
その内容が、「君は僕の太陽だ。といって、バラの花を抱えてひざまずく。」だったら、どうでしょうか。
A その通りだと本当に思う
このタイプはいないでしょうが、絶対に、大成しません。
B そうではないと思うが、検定に合格するために、しかたないから賛成しているフリをする。
このタイプもだめです。小物です。先生が小物だったら、生徒から信頼されません。
C クソッタレ爺々と、唾棄する。
これが健全。
D Cと似ているが、後で、「ひよっとしたら、アリかも…」と思う。
このタイプこそ、大成します。
2 方法がある…と思うことこそ間違いだということ。
内容がブレていてねじれがあるのが勉強だからです。
いい講師の1/4は、一種の学者です。本当に素晴らしい学問的な業績がある人もいれば、ポスドククラスの人も、全く論文を書いていない人もいますが。学歴や業績ではなく、学究性、向学心が大きなポイントになります。
例えば、国文法の過去の助動詞。
「来」と同根だ(同じ語源だ)。だから、記憶が甦ったり、物語的な叙述が立ち現れる意味だ
という教え方もあります。わかりやすいですが、過去という時制を認めなくなることにつながる…という欠点もあります。
この地域、このレベル、この個性の生徒群には、どう教えるべきか…ということを考えてことに当たるのですから、
方法というのは、オーバーに言うと、一回限りしかありません。
3 今まで、声高に言われた、方法が、害があるものだったこと。
これも教科内容の話になりますが、
ぼくは、
中学時代に「関係代名詞は、接着剤だ」と教わったのが、英語の長文を読む妨げになりました。
友人の英語の先生(補習塾からたたき上げた、代々木ゼミナール講師。旧帝大で、一種の英語教育法を専攻した。)も
、「現在完了を、完了、経験。継続。結果と教えると、長文が読めなくなる…」と言ってました、なるほどです。
薬の副作用がしばしば問題になりますが、教授法の副作用は、薬害の比ではないと思います。
4 規格にはまらないことこそ、塾や予備校の長所だということ。
特に予備校は、
高校にいないタイプの人がいます。チンドン屋や、霊能者のような恰好をしている人がいてこその予備校です。
予備校の使命は、居場所のない人に居場所を作ることですから。
■塾講師を国家検定に 信頼性向上狙い17年にも
(朝日新聞デジタル - 08月26日 12:16)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3584454
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