昨日は、どえらい先生(有名国立大学名誉教授であり学会会長)から突如電話があり、飲みました。
ほんのちょっとと思ったのですが、人の悪口で盛り上がり、気が付いたら四時間半も中華料理店にいました。
https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130402/13214561/
と、安い、美味い、早いの三拍子そろったところです。レタスチャーハンが絶品でした。新宿御苑や三丁目にいらしたときに使ってください。自信をもってお勧めします。
そこで、
A 古文の出題が減っている。出題しても、『宇治拾遺物語』『今昔物語』などの、簡単で話にならないものが多い。
B そもそも古文は、夏目漱石も森鴎外もできなかった。
『源氏物語』は誇るべき民族の遺産であるなどという理屈がついて、教えられることになった。漢文は教えなければならないが、古文は疑問である。
C 古文を教えられる層が薄くなっている。
国文の量的衰弱、特に、女子大の閉鎖や縮小が大きい。
といった話も出ました。
そう考えると、「国語」という科目は、様々な誤魔化しの上で見切り発車させられている科目だとわかります。
1 評論は、教養試験になっているし、小説は文学鑑賞になっている。
2 文法など日本語独自の問題が十分に扱われていない。
3 そもそも、能力のある教員がいない。
たまに見かける有能な人は、独学です。そういう教員を育てるシステムは、ほぼ、ありません。
たとえば、
「主語、述語を明確に」
「逆接は<逆>だ」
「<た>は、過去だ」
「謙譲語はへりくだる言葉である」
「詳しくありのままに書けば、わかりやすい文章になる」
これらは、まるっきり、ウソです。
正しいことを教えるには、上の2の知識がないといけません。
出口である、テストも問題です。
では、そのテストをどう変えるべきか。
言葉と内容の関係は、容れものと中身のような関係ではありません。切り離すことはできないから、そこをどうしていくかという問題もあります。
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