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2026年03月09日08:26

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やっちゃん回想録 映像授業という危機2 浮き彫りになるカリキュラムの問題点 甲乙

昨日お話ししたように、数分(市ヶ谷〜千駄ヶ谷までの中央線の乗車区間)だけ、映像授業が講師の授業にとってかわられるのではないか…と思い、
実際の映像授業をみたら、内容が?でした。

結論からいうと、タイトルの「映像授業という危機」とは、講師にとってではなく、社会全体にとっての危機だったということです。

そもそもの原因は、カリキュラムがおかしいからです。
映像の場合、視聴する人が多いですから、どうしても、カリキュラムやそれを基にした入試に準拠せざるを得ません。

カリキュラム(および検定済み教科書)の問題点は、

1 その道の専門家を養成するためのカリキュラムになっている。

古文でいうと、『源氏物語』などの平安期の女流文学を読む必要があるのは、国文や国史の一部しか必要ありません。
自分の論文にも使った覚えは、概説(「日本の…という文学的伝統のもとに…」などの類)でしかありません。だから、たとえ読めないとしても中近世の文学研究はできるということになります。
正直な話、若いころに源氏を読む努力をしました。だが…おかげで、読解力が強化されたとか我慢強くなったという抽象的な効果を除けば、原文を読めるようになったからこそ論文に使うことができた、といった類の実りはありません。平安女流文学は、国文学の流れからある程度、独立したものだからです。
だから、国文学者で源氏を通読した人は、実のところ、あまりいません。「須磨源氏」と昔からいいますが、耳にするのは真ん中あたりの「須磨」の巻で挫折したという話ばかりです。共通テストで源氏を出すのは、専門家向けどころか、コアなマニア向けです。正気の沙汰ではありません。

だから、他の専攻の人にあれを読めというのは無駄です。特に、理系の場合、若い頃が大切だと言われていますから、壮大な人材のむだ使いですね。

2 内容が薄い

1は非常に高度です。だから、いきなりやるとチンプンカンプンになりますから、文法や単語のような基礎を入れて胡麻化す…ということになります。
ある、東大のドクターを出た人の映像授業をみましたが、誰でもできる基礎の内容が厚く「この人は、<○○むむめ○>とか言っているだけで、日々仕事をして、生きている甲斐があるのだろうか?」と思いました。
(私は、<む>は、四段。未然、連用、命令は未発見だ、と教えます。話が少し難しくなるから、アンケートの数値狙いの人はこういう原理的に興味深い教え方を避けるでしょうね。)

ちなみに、生徒は、自分の知っていることを教えないと納得できません。「学校では…と習うが、本当は…だ」という教え方を嫌います。自己否定が嫌いだからです。

文法はどんなに強くなっても、源氏が読めるはずはありません。文法の知識をどう読解につなげるかそこをごまかした授業がほとんどです。

3 素人の素朴な疑問に答えるシステムになっていない。

私は、物理は素人です。
教育ですから、高校時代の私に古文を教えるより、苦手の物理を教える方に意義があると思います。

慣性の法則を説明するとき達磨落としが使われます。
だが、達磨落としは、説明としておかしいです。
外から力を加えないと、静止(とか等速直線運動)し続ける
というのが、慣性の法則。
それならば、達磨は宙に浮かないとおかしいです。
達磨が真下に落ちるのは、達磨に重力があるからです。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11319401496
この質問の最後の、
「では、コップを机に置いて何もしなければ当然動かないよねという説明でよくないですか?」という質問者の指摘は、もっともだと思いますね。

以下、機会があったら続きを書くかもです。


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