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2026年03月03日18:12

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牛肉の恨み・・・

 昨日の天気予報では、関東地方は雪が降る可能性もあり、
 雪の雛祭りになるかも知れないとの事でした。
 結果はどうでしょうか?
 宇都宮は、今の所雨です。

 雪の雛祭りと言うと桜田門外の変を思い起こします。
 安政7年3月3日、大老井伊直弼が水戸藩脱藩者などに暗殺されたのが、
 桜田門外の変です。
 もっとも、これは旧暦ですから、今の暦にすると3月24日になります。
 その原因は、将軍継嗣問題と修好通商条約の締結などが絡んだ、
 政治的なものであったとするのが定説になっています。

 しかし、牛肉の恨みによるものだとの別の説もあります。
 牛肉が日本で食べられるようになるのは明治時代に入ってからとされていますが、
 江戸時代にも彦根藩では食べられていました。
 そして将軍家に献上する他、多くの大名に配られていたようです。
 彦根藩は、幕府に陣太鼓に使う牛皮を毎年献上するのが慣例で、
 江戸時代、公式に牛の屠殺が唯一認められていた藩でした。
 三代藩主直澄時代の家臣花木伝衛門が中国の薬学本「本草網目」からヒントを得て、
 「反本丸」(へんぽんがん)と称し、薬として牛肉を流通させたとの事です。
 寛政年間以降、彦根藩から将軍家や諸大名へ牛肉を贈った記録が
 「御城使寄合留帳」として残されています。
 1792年(寛政4年)には、老中であった松平定信に贈っています。
 定信は牛肉が好きだったようで、老中を退いた後も所望しています。
 1803年(享和3年)には、老中牧野忠精を通じて11代将軍徳川家斉に献上され、
 翌年にも内命によって献上しています。

 水戸藩の徳川斉昭も牛肉が好きだったようで、
 1835年(天保6年)に贈った記録があります。
 斉昭は、彦根藩から献上される近江牛の味噌漬けを好み、
 毎回の献上を楽しみにしていましたが、
 井伊直弼は、大老になった際に領内での牛の屠殺を禁じ、献上をやめてしまいます。
 斉昭は、使いを立てて何度も再開を要請しますが、井伊直弼はまったく応じず、
 遂に、斉昭自らが江戸城で井伊に懇願するに至ります。
 しかし、直弼は、牛馬を殺生するなどとは野蛮人のすることだと斉昭を嘲笑し、
 断ってしまいます。
 これに対して、斉昭の家来である水戸藩士たちは、
 主君を愚弄し恥をかかせたと激怒し、井伊を襲う事になったとの事です。

 水戸庶民は、桜田門外の変のことを
 「烈公の肉の怨みを水戸藩士が討ち晴らした」「すき焼き討ち入り」「御牛騒動」と
 言っていたとの事です。
 桜田門外の変の僅か10日後に出版されたという瓦版
 (出典:桜田門外牛騒動之図「幕末確定史料大成 
 官武通紀・桜田騒動記(玉蟲左太夫)」)には、
 桜田門外の乱闘が描かれ、中央に牛の首の絵が、
 左下方に「モウ御免と桜田門」、「食べ物の恨み恐ろし雪の朝」
 「大老が牛の代わりに首切られ」と詠まれているとの事です。

 井伊直弼と徳川斉昭は、将軍継嗣問題で激しく対立します。
 斉昭の実子の一橋慶喜を推す派を退け、
 紀州藩主徳川慶福が将軍となり家茂となりますが、
 そうした政争が牛肉の話に仮託されて庶民には伝わっていたのかも知れません。


【今日の一句】
 海外だ 花粉飛ばねば どこへでも


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