Hiroshi Takehara
「石器・縄文時代は母系社会」
子孫を増やすには「子種さえあれば良かった」
現代人には、1万年以上前の縄文人DNAがおよそ12%引き継がれている(沖縄・アイヌの人はもう少し多い)。
「縄文人はどんな恋愛をしていたのか?」
私たちと同じように、次世に命をつなぐことは最大のミッションであったと言って良い。
「集落内の恋愛はタブーだった?」
一般的な集落は15〜20人ほどの血縁者を中心に営まれることが多かった。
血縁者と交わることで様々な問題が起きていることは把握されていたはずだ。
集落内の恋愛はタブーであった。
それでは「年頃の娘はどうやって結ばれたのか」
若者が70ケ所ある黒曜石産地に行くには山道が使われ、それなりの道になってていたはずだ。
最高のブランド品は長野産だ。
この黒曜石が数百キロも離れた遺跡から見つかっている。
向かう途中で集落に立ち寄ることはあったはずだ。
年頃の娘がいる集落にとっては「これ幸いのチャンス」。
働き手も欲しいが、元気な若者は娘の婿に欲しい。
旅人をもてなし、何とか長く滞在させたい。娘の初産は18〜19歳くらい、子種が欲しいのです。
独身、妻帯者は関係ない。
居着くことがあればそれで良い、去ることも構わない。
「集落としては子孫を残す子種さえあれば良いのです」
生まれてきた子供は父親の顔が分からない。
古代は母系社会であったことに間違いない。
その証が女性や妊婦姿の土偶に対し、男性は男性器を模した「石棒」が多く出土していることなのです。
他にも、拠点集落の周辺若者たちが一堂に集う祭りが行われていた。
祈りの儀式を行えば高揚感で恋が芽生える。
そのうちカップルが生まれ、若者たちはいつの間にか消えてしまう。
夜は危険、祈りの儀式は昼間の明るい時に行われていたことでしょう。
一年に数度行われる大きな祭りは、子孫を残す交わりの場であったと思われる。
外から新たな血を集落の女性に入れることで、優秀な血族が増え集落は維持されることは分かっていた。
女性一人で4〜6人は生んだのではないでしょうか。
集落の子供の面倒を見るのは主に年長者であり、集落全体の子として面倒を見ていたのだろう。
母乳の融通もあったはずだ。
親族の多い集落で安定した暮らしを維持するには「母系社会」が必要であったのだ。
現在も中国・モソ族、スマトラ島・ミナンカバウ人、インド・カシ族は現在もこれが維持され、過去にはインディアンもそうであった。
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