昨日は、来客があって日記を書けませんでした。
今日は建国記念の日です。
1966年(昭和41年)の祝日法改正により国民の祝日に加えられました。
ただし、法律上日が決まっている訳ではなく、
政令事項とされていますので、
佐藤栄作総理大臣が建国記念日審議会の審議を経て、
戦前の紀元節と同じ2月11日としたものです。
第二次世界大戦後、日本では、民主化や非軍事化が進められていましたが、
冷戦の激化に伴うアメリカの対日占領政策が転換され、
いわゆる「逆コース」と呼ばれるレッドパージや警察予備隊の設置など、
非民主化・再軍備の動きが強くなります。
こうした中、紀元節復活に向けた動きが、1951年(昭和26年)頃から始まります。
神社本庁が1955年に紀元節奉祝国民大会運営委員会を設立すると、
日本郷友連盟、日本遺族会、生長の家など保守系団体が加わり、
建国記念の日制定を求める世論形成を図ります。
これに対し、野党、民主団体、労働組合、キリスト教者、歴史学者などが
紀元節復活反対を表明します。
このため、「建国記念日」の設置を定める法案は、
9回の提出と廃案を繰り返す事になり、
1966年(昭和41年)、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立しました。
右派の目標は、次は元号法制化に向かいます。
建国記念日制定運動とほぼ共通した団体がこれを担います。
そして、1979年(昭和54年)に元号法が成立しました。
建国記念の日や元号の法制化には長い時間が必要でした。
これは、戦後からこの頃まで日本の右傾化が抑制的に推移して来たからなのでしょう。
1990年代に入って、日本の右傾化が一挙に進んだような気がします。
それは、各団体が日本会議に統合される中で、
「戦後体制」そのものへの疑問、自虐史観批判の登場、
新しいナショナリズム言説の拡散、
右傾化の思想的土壌が形成されたからなのでしょう。
総選挙によって、高市政権は多くの議席を得ました。
高市総理が、右派の政治家である事は間違いありません。
右傾化は益々進むと思いますが、国民の生活はどうなるでしょうか?
【今日の一句】
跳ね除けて 布団かぶらず 風邪をひく
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