数日前にお話ししました。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1991306070&owner_id=12410478
今日は、その補足です。
何点かピックアップすると、
1自分が選ばれた存在である、自分の霊は高貴である…ということに結びつけると、超能力は作動しない。
まことに、道学というものは、いけないものです。青少年は、道学から遠ざかることです。たとえば、「努力すれば結果は後からついてくる」「人間は無限の可能性を持つ」のような、ウソが、どれだけ青年を蝕んでいることでしょうか。
努力と結果は、完全な因果関係はない。無駄な努力どころか、マイナスの努力もあります。しかも、成功と倫理道徳を結びつけるところが浅ましい。金を持ったものは、倫理や道徳でも優れていると思い込む。そうではなく、金とは人からとるもの。スロットで勝つのと同じである。
…など批判すれば際限がありませんが、この「自分が選ばれた存在である」もそうです。謙虚になるのがよいという話ではありません。
謙虚さに欠けるとは、他人のひんしゅくを買うという人間関係的な問題、慢心するという自己管理的な問題になりますが、最も大切なのは、事実に反するという点です。
解の公式を使って問題が解けるという人がいても、解の公式は彼の発明ではありません。
天然自然に存在する道理です。だから、その人に特別の力があるわけではありません。
厳密に言うと発明ではなく発見ですが、大学の先生などが、業績によって任用され、東大卒などの学歴によって任用されないのは、本当に正しいです。
そして業績を上げるためには、若干の例外もありますが、物事を正しく見ることが大切です。学校の先生がいう「誰しもが無限の可能性を持つ」などは、事実ではなく宗教だということを、小学校高学年になったら見抜かないといけません。
そして、同じ小学校の先生が、「ルーキーの✕✕投手は、せいぜい、中継ぎで五勝しかできないだろう」「A組の✕太郎は、算数ができないから筑波大付属は無理だろう」と、自説に反することを平気で述べていると。自己欺瞞があると。
(たまに、「こういうところにいたら自分がダメになる」と、高校を中退する人がいます。高校中退組の中で、例外的に優秀な人。こういう素晴らしい人が社会に適応できるか、心配でもありますが。)
だから、tちゃんが、訪れた私の手のひらから金箔を出し(本当に超能力なのかどうか、わかりません)「私の力ではなく、ご守護神さまの力だ」と言ったのは、当を得ています。
もし、その現象が奇跡なら、彼女の力ではないからです。
逆に自分の力だと思ったら、世界を根本的に誤解することです。
力を発揮できるはずはありません。
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