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2025年09月15日08:18

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昨日の続きです。 宗教のアポリアを巡る一解答 特選

昨日は、男女の友情と狂気、宗教について書きました。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1990703579&owner_id=12410478#feedback

ロバート・パーシグ は「1人の人間が妄想に苦しむ時、それは狂気と呼ばれるが、多くの人が妄想に苦しむ時、それは宗教と呼ばれる」としています。

『禅とオートバイ修理技術』
https://note.com/msdbnk/n/n3b7c48e9b957
の概観です。

以下は、パーシグの考えの発展です。

最初に結論を申します。
宗教は妄想です。だが、妄想ではありません。

Yahoo知恵袋に、
「田久保真紀は、観音様を念じたら、この窮地から救われるか?」
という、本質を突いた質問がありました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13317195353?__ysp=55Sw5LmF5L%2Bd55yf57SA44CA5pmu6ZaA5ZOB

解答者は、懺悔などの精神的な救いであり、田久保の業がもたらした罪は消えない
と言っていました。

もっともらしいですが、間違いですね。
業が罪を犯した。その通りですが、観音様が罰から救ったということがなければ、観音様の超能力はないということになります。

観世音菩薩普門品には、
「或遭王難苦、臨刑欲寿終、念彼観音力、刀尋段々壊」
とあります。王様の命令で死刑にされて死ぬところを、観音様の力を念じれば、刀が折れるわけです。
そうではなく、現実が変わらないとしたら、宗教ではなくなります。もちろん、宗教なんてすべてがインチキで意味はない迷信だという考えもあっていいと思います。
しかし、観音の力が精神的な救いなら、その辺歩いているおっさんと選ぶところはありません。中途半端もはなはだしいです。

ここに補助線を引いてくれたのが、男女の関係でした。
彼女だった人は、キスしかしてなくても一生愛しい人です。だが、そうでない人は他人です。ですから、ある程度までしか助けられません。

男女の場合ですとどこまでの関係だったか、相手も知っています。

ところが、信者と観音様は、観音様はお見通しでしょうが、信者は自分が救われるに値する人間かそうでないかわからないのではないでしょうか。
ここでいう救われるに値するとは、ただちに善行のことではありません。また、善行とはいますが、明らかに善行をした人は少ないです。

やっちゃん先生が、生徒が胡麻化して勉強している急所を突いて叱ったら、生徒が逃げた…
インチキ先生が「<しかし>の後に答えがある」「このままいけば早稲田に受かる」とホラを吹いて、やる気を引き出した。
どちらがいい行為かというと、もちろん後者はダメですが、前者も「当たり前」というだけで、仕事面でも特に素晴らしいとは言えません。

また、仕事で業績を上げた人がいます。
でも、仕事である以上、当然です。善行とは言えません。
私の身の回りでは、善行を行なったかもしれない人は、お寺の本堂を寄付した母方の祖父しか思いつきません。
でも、その祖父もあの世で仏様に、「わしの家建ててもらうたが、功徳や善行やなんてよう言わん。そもそも、アンタがもうけ過ぎだったんや」と叱られているかもしれません。

というわけで、宗教の本尊と信者の縁はわからない(評価できない)でしょうね。

先ほどの話に戻ります。
祈ったり信じたりすれば、観音様は助けてくださるだろうと思うのは、妄想です。
道を歩いている見知らぬ異性に対し「あの人は自分に気がある」と考える程度の浅ましいことです。

しかし、「観音様、お助けください」と念じるのは、妄想ではないと思います。
観音様と自分との関係の妄想ではないからです。
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