しばらく、大学の偉い方(単なる教授というだけではない、業績も経歴も超一流の医師。以下、先生とします。)が授業参観なさるということが続きました。
この前、5分前に終わったら、
「やっちゃん先生、少し、お時間ください」
といい、演説を始めました。
内容は、そうしたときに言われる定番、私への賛辞だとか、今が一番大切なときだとか、授業のこれこれが重要だとか…で、特別なことはなかったのですが、みんな熱心に聞きました。
その日は、ワークショップをやりました。
「傾聴」です。相手の言い分に耳を傾けることです。
それを振り返り、みんなの前で披露した学生を誉めました。
その人は、私が褒めたときも喜んでいましたが、その100倍喜んでいました。
私と先生の業績の差なんて知るはずはありません。なんというか、カリスマ的な重みが違うのですね。
なぜだろう。
そもそも、こういう方に「モノを教える」学校という場でずっと会っていなかった気がします。いや、もう一方いますが、その方も大学です。
場は、大切です。
賭博場や風俗店という場であったら、知性や社会的地位や資産など関係がなくなり、ジギル博士もハイド氏になるように、どんなに素晴らしい人でも、場があってこそ輝く。そういうものではないでしょうか。
予備校は下品です。
優秀な生徒も、いかにして大学に入るかしか考えていません。
研究所は、人間と接するというより、研究と接します。
そして、おもしろいことに、研究というものは、意外なことにそんなに上品ではありません。せいぜい、囲碁将棋程度です。いや、権威者のまちがいを指摘し、罵倒するなどという面もないわけではありません。
先生は、ネットによると、ある有名医大の××内科の初代の教授だったそうです。その人間関係の中で、人を引っ張っていくカリスマ性を発揮されたのでしょうね。カリスマ性というと、快活な男性を想像しますが、とても物静かな方です。
翻ってみると、学生も凄い。
真っ黒に日焼けしてバッチリとメークした人が、ぼくの言葉の重みと先生の重みの差が分かるのです。小さいころに祖母の家で飼っていたクロネコにすっかりなめられていたのを思い出しました。あのクロネコも「こいつは大したことがない」と値踏みしたのでしょう(笑)
感性。
話している内容とかそういうことではない、言語化できない何かを感じ取る力。
予備校などを見ると、明らかにそういう点がなおざりにされています。
集「客」能力
が重視されるなんて、その、遥か数次元前をさまようだけです。
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