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2025年03月02日19:11

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エラスムス像・・・

 デジデリウス・エラスムスは16世紀のオランダの人文主義者で、
 「痴愚神礼讃」、「平和の訴え」などの著作があります。
 このエラスムスの像が江戸時代から、
 栃木県の佐野市の寺院に祀られて来ました。

 1600年(慶長5年)、日本に初めてオランダ船が来ます。
 リーフデ(愛)号という船で、
 2年前の1598年にオランダを出航し、
 コショウを求めてインドネシア方面に行くはずだったのですが、
 嵐に巻き込まれて漂流して、現在の大分県の海岸にたどり着きます。
 出航時110名いた船員のほとんどは既に死んで、
 日本に到着した際の生存者はわずか24名でした。

 当時は関ヶ原の戦いの直前です。
 その内の2名が、世界情勢に興味のあった徳川家康に気に入られます。
 その一人がヤン=ヨーステンで、
 彼の屋敷があった所が、東京の八重洲です。
 東京駅に八重洲口というのがありますが、それですね。
 もうひとりがウィリアム=アダムスで、
 実はこの人はオランダ人ではなく、イギリス人でした。
 ウィリアム=アダムスは徳川家康の外交顧問になり、
 三浦半島に領地をあたえられたため、
 日本名が三浦按針(みうらあんじん)です。
 按針とは羅針盤の針を点検するという意味ですが、
 彼は水先案内人でした。

 リーフデ号は堺経由で浦賀に回航され、
 ここで解体されたと言われています。
 徳川家の旗本牧野成里は砲術をウィリアム=アダムスから指南され、
 更にリーフデ号の船尾に付いていた彫刻をもらいます。
 成里は、その像がなんであるか分からないまま、
 佐野市の龍江院という禅宗のお寺に置きました。
 龍江院ではこの像を、船を発明したという古代中国の伝説を持つ
 貨狄(かてき)の像(別名「貨狄尊者」、「貨狄観音」)として祀り、
 観音像と並べて安置されていました。
 当時の人々からは、「カテキ様」と呼ばれていたようです。

 この像がかぶっているものが、
 姉さんかぶりの手ぬぐいのように見えるところからでしょうか、
 いつのころからか、その像を「あずきとぎババア」と
 村人は呼ぶようになって、怖がっていたのだそうです。
 大正年間になって、その像の袖に書かれている文字から、
 それがエラスムス像だということが分かり、
 現在は上野の国立博物館に寄託されています。

 そのエラスムス像が、現在佐野市内の吉澤記念美術館の
 「佐野市制20周年記念特別企画展 丸山瓦全と佐野のお宝保護作戦!」で
 展示されています。
 佐野市にエラスムス像が帰るのは百年ぶりとの事です。
 来週の9日までの期間なのですが、行ってみようと思いながら、
 どうも行けないような感じです。

 下記に企画展の案内がありますので、宜しければご覧下さい。
 https://www.city.sano.lg.jp/sp/yoshizawakinembijutsukan/2/1_5/23684.html

 【今日の一句】
 惜しまれて 旅立つ内が 花かもね


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