デジデリウス・エラスムスは16世紀のオランダの人文主義者で、
「痴愚神礼讃」、「平和の訴え」などの著作があります。
このエラスムスの像が江戸時代から、
栃木県の佐野市の寺院に祀られて来ました。
1600年(慶長5年)、日本に初めてオランダ船が来ます。
リーフデ(愛)号という船で、
2年前の1598年にオランダを出航し、
コショウを求めてインドネシア方面に行くはずだったのですが、
嵐に巻き込まれて漂流して、現在の大分県の海岸にたどり着きます。
出航時110名いた船員のほとんどは既に死んで、
日本に到着した際の生存者はわずか24名でした。
当時は関ヶ原の戦いの直前です。
その内の2名が、世界情勢に興味のあった徳川家康に気に入られます。
その一人がヤン=ヨーステンで、
彼の屋敷があった所が、東京の八重洲です。
東京駅に八重洲口というのがありますが、それですね。
もうひとりがウィリアム=アダムスで、
実はこの人はオランダ人ではなく、イギリス人でした。
ウィリアム=アダムスは徳川家康の外交顧問になり、
三浦半島に領地をあたえられたため、
日本名が三浦按針(みうらあんじん)です。
按針とは羅針盤の針を点検するという意味ですが、
彼は水先案内人でした。
リーフデ号は堺経由で浦賀に回航され、
ここで解体されたと言われています。
徳川家の旗本牧野成里は砲術をウィリアム=アダムスから指南され、
更にリーフデ号の船尾に付いていた彫刻をもらいます。
成里は、その像がなんであるか分からないまま、
佐野市の龍江院という禅宗のお寺に置きました。
龍江院ではこの像を、船を発明したという古代中国の伝説を持つ
貨狄(かてき)の像(別名「貨狄尊者」、「貨狄観音」)として祀り、
観音像と並べて安置されていました。
当時の人々からは、「カテキ様」と呼ばれていたようです。
この像がかぶっているものが、
姉さんかぶりの手ぬぐいのように見えるところからでしょうか、
いつのころからか、その像を「あずきとぎババア」と
村人は呼ぶようになって、怖がっていたのだそうです。
大正年間になって、その像の袖に書かれている文字から、
それがエラスムス像だということが分かり、
現在は上野の国立博物館に寄託されています。
そのエラスムス像が、現在佐野市内の吉澤記念美術館の
「佐野市制20周年記念特別企画展 丸山瓦全と佐野のお宝保護作戦!」で
展示されています。
佐野市にエラスムス像が帰るのは百年ぶりとの事です。
来週の9日までの期間なのですが、行ってみようと思いながら、
どうも行けないような感じです。
下記に企画展の案内がありますので、宜しければご覧下さい。
https://www.city.sano.lg.jp/sp/yoshizawakinembijutsukan/2/1_5/23684.html
【今日の一句】
惜しまれて 旅立つ内が 花かもね
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