昨日の下野新聞に、
元ペルー大使の青木盛久さんが、
11月9日、83歳で亡くなったとの記事がありました。
青木さんは、栃木県那須塩原市青木出身で、外交官になった人です。
明治時代の外務大臣だった青木周蔵と直接の血縁関係はありませんが、
ひ孫にあたる方です。
那須塩原市の青木は、いわゆる那須野が原と呼ばれる地域で、
江戸時代まではほとんど人が住んでなかったために地名がありませんでした。
明治になってから、国が那須疎水を開削した事で、
明治の元勲と呼ばれる人々が大規模農場を営むようになります。
青木周蔵も農場を開いた一人で、その関係で青木と言う地名が付きました。
農場で働く人の子弟のために小学校を作り、
それが公共団体に引き継がれて青木小学校となりますが、
盛久さんも、この青木小学校を卒業しています。
青木周蔵が建てた別荘は国の重要文化財になり、公開されています。
詳しくは下記をご覧下さい。
http://tennnennkozimitearu.seesaa.net/article/a54410182.html
青木盛久さんは、1996年12月17日に起こった
ペルー日本大使公邸占拠事件の時の大使だった方です。
127日間の人質生活を経て、1997年4月22日に
当時のフジモリ大統領の指示で、トンネルを掘って特殊部隊が侵入して、
救出されました。
青木さんは、解放後の記者会見時に喫煙したことが
日本国内の一部のマスコミに問題視され、
ケニア大使に事実上左遷された後に退官し、
その後、海外協力隊関係の活動をされていました。
僕は、青木さんとお会いした事が何度かあります。
僕が関係していた団体にも手弁当で出席して下さいました。
最後にお目に掛かったのは5年位前だったと思います。
青木さんは、背の高い品の良い人で、最新の国際情勢にも詳しく、
非常に説得力のある話し方をする方でした。
何度か喫煙所で煙草を吸いながら、色々な話をお聞きしました。
僕は、青木さんと一緒に煙草を吸えて光栄だと思っています。
ご冥福をお祈りします。
【今日の一句】
主婦と主夫 両方俺だと 独り者
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