■「ただ息子を返して」=遺族、教団への憎しみ今も―松本サリン事件から30年
(時事通信社 - 06月27日 00:31)
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特に、理科系と一流大学卒業者に多いです。。
たとえば、院生のころに、新興宗教系の予備校でバイトをしていました。
大卒で勉強ができるのは先生にし、人当たりがいいのは保護者面談などに駆り出す。美人は窓口に置く…などと、信者をフルに利用しこき使ってていましたが、
その原動力は、
男の信者と女の信者をカップルにする。
と、
自尊心を満足させる
(例えば、絵をやっている人には「ダヴィンチの生まれ変わりだ」などという)
の二つです。
それなりの勉強をしていた人ほど引っかかるのが面白いです。
(底辺高校を出た人は、成績優秀者のゆがんだ世界の眺め方とは別の眺め方を早期に勉強するから引っかかりにくいのかもしれません。)
恩師佐藤六龍は、私に素晴らしいものを教えてくれましたが、
「無形のものは際限がない」という言葉も、印象的な言葉のひとつです。
この自尊心は、自分の達成ではありません。
私は、自分の達成以外は自慢のネタにしません。恩師(六龍師は一般に知られていない人です。ここでいう修士論文主査の某著名教授などです)であるとか、学歴であるとか。恩師は自分ではないですから、自慢するのはあさましいです。
ダヴィンチの生まれ変わりは極端ですが、
学歴や教育歴を自慢するのは、ダヴィンチと同じく、無形の虚栄心でしょう。
だって、大学も恩師も自分ではないから。観念の中の存在だから。
だから、際限がない。キリがないものです。
そのうち、何かを捏造しても自慢したくなります。経歴その他を誇大に述べるどころか、「僕は✕✕学を修めている。君は修めていない。pu。」と受け取られるような対応をする人もいます。嘘が混じるのだから、ますます無形になります。
そういう人は信用を失い、人が離れます。
この類の人が一種の病気だということを正しく認識しなければ、日本はよくなりません。
というよりも、端的にいうと、同じ問題がまた起きます。
オウムで特徴的なのは、そのプライドです。
「おれは教祖を抜く」「私の父親は、俗人だ」などという発言が非常に多く、本当に欲しいのはプライドなのに、「解脱」したかったかのように、自分で自分を騙した輩が多かった。いろいろな発言を考えると、事件を起こしたのは、その際限のない自己肯定欲だと思われます。
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