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2024年02月28日08:40

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とうとう出ました。「東洋文化」118號 素人さんでも読めます。その二

�掘”従檗淵ぅ瓠璽検砲鮗�け渡すということ

例外的な事項や細則といえば、古文と現代文の異同の問題も悩ましい。
森山由紀子氏は『謙譲語から見た敬語史、丁寧語から見た敬語史 ―「尊者定位」から「自己定位」へー』(朝倉日本語講座8「敬語」(北原保雄 監修)東京 朝倉書店 204P  2003年)において、�ー膰譴�上位で、補語が下位となる場合 �⊆膰譴畔筝譴隆屬坊評�関係がない場合 �7評�関係に反する行為である場合 �ざ饌療�な働きかけや行為の授受がない場合 は、平安時代は謙譲語A(謙譲語�気汎韻検砲鮖箸辰読集修任�るが、現代語ではできないと指摘している。まさにその通りである。だが、この4点は覚えなければならない例外なのであろうか。これらは、
「発話は、自分がイメージした表象を受け渡すものである。」
という現代語に特徴的な性質によって説明可能である。これこそが森山氏の指摘する「自己定位」の作動する原理である。現代語では、自分のイメージを受け渡すことが優先され、それに先立った身分関係などのいわば社会的な規範が後回しにされる。ソシュール言語学の用語を使うと、ラングよりもパロールが優先される、あるいは従来は記録されなかったパロールが、文献上に積極的に記録され、話し言葉である場合も議論の対象となるようになったともいえよう。
 古文では「帝、(東宮に)文奉り給ふ」などと補語が下位である場合でも謙譲語を使った表現が可能である。帝も東宮も、話者よりも上位であるという社会的な規範が絶対であるからである。だが、現代語では、たとえば先の菊池氏の挙げられた例の場合、
例6×「社長が部長をご自分の別荘にご招待したそうです」
社長の動作を、敬意がこもった動作として話し手がイメージできないから、謙譲語を使えるはずがない。また、
例7×「犯人は先生に脅迫状をお送りした」
と悪いことには使えないが、その理由も「イメージした表象を受け渡す」という発話の原則から導き出すことができる。脅迫状を出すとの悪事を、敬意をこめて表象するなどありえないからだ。
 また、よく知られるように、時枝誠記が
例11 〇「奥様はお出かけになりました」
という女中の例を挙げて述べている(注13)ように、身内に対して使う場合もある。一般に、身内に対して
例12 私の父がおっしゃっていました
などと敬語が使えないのは、発話は、自分がイメージした表象を受け渡すものであるから、私の父をあなたも尊敬せよと言っているかのように響くからであろう。だから、「私の父が申しておりました」のように表現しないといけない。しかし、時枝氏が挙げている女中は、奥様一家を代表して発話する立場にはない。使用人として取り次ぎをしているだけで、奥様とも客とも人間関係はない。だから、「奥様はお出かけになりました」という敬語付きのイメージを発話しても、「奥様を尊敬せよ」という押しつけには当たらないから、失礼にはならない。外国人に「日本の天皇は皇居に今いますか?」と聞かれたとする。上皇陛下ならいざ知らず、寸毫も天皇家を代表する立場にない我々が
例13 ✕「私どもの天皇の徳仁なら外遊中です」
などと言えるはずがないのと同じである。
 だが、これらは、敬語に内在する語学的な問題ではない。
 「奥様」と述べている「女中」(や書生など)あるいは「天皇」は、現代の日本でどういう存在なのかという社会通念の問題であり、敬語とは無関係の問題であるのだ。
 敬語をめぐる気になる細則や例外は、イメージの受け渡しと考えることによりほとんどが説明可能である。後述するように筆者は敬語の分類として認めていないが、いわゆる謙譲語�兇鮖箸辰晋世な�で、
例14 〇「いよいよ年貢の納め時が来ました。三年ほど刑務所にお勤めに参ります」
例15 ✕「いよいよ年貢の納め時が来ました。三年ほど豚箱に参ります」
例14は言えるが例15は言えない理由も明確になる。「お勤め」は、義務を果たすという意味に当たり、服役することを謹んで述べた言葉である。だが、同じ事態でも豚箱に行くと表現すると、刑務所を人間が生活するところではないと見下げて評価しているのだから、「参る」という表現を付けて表象(イメージ)することができないから、例14のように述べなければならない。
 また、同じ人物が同じ状況で敬語を付けたり付けなかったりという問題も解決可能である。ある日、私はアルバイトしている予備校で同僚の講師が生徒に、
例16 〇「英語は私に、現代文は本間先生にお伺いしろ。必ず伸びる」
と述べているのを耳にした。この同僚は単に、先生―生徒 という上位者下位者の間で起きる出来事に敬意をつけて表象(イメージ)し、それを生徒に受け渡しているだけである。
だから、別の機会に、彼は、
例17 〇「英語は私に、現代文は本間さんに聞け。必ず伸びる」
と言った。ともに極めて自然な文章である。例16は、動作を当事者の外側から表象(イメージ)した文、言い換えれば社会的な状況としえt表象された文であるが、例17は、そこまで考えていないという違いがあるだけである。共に正しい表現である。
 また、例8,例9と似た例であるが、普段は折り目正しく、「田中先生、おはようございます。」などと述べている学生が、
例 〇「田中の『近代文学演習』のレポート、超ムズい(難しい)」
などと、学生同士の会話で先生の名を呼び捨てにすることが頻繁に見受けられる。もちろん、面従腹背や二枚舌ではない。表象(イメージ)の受け渡し先が学生仲間であるから、こう表現されるのだ。
 また、話し手の観念の中に存在する表象(イメージ)を受け渡す相手は、これから例20で説明するように複数ありうると考えられる。したがって、本論文では、「謙譲語」という表現に代えて「受け手尊敬」という表現を使わなかった。動作の受け手そのものではなく、自分の観念の中の存在に向けての敬語だからである。この点は、さらなる研究が必要である

�検仝�譲語の新定義の提案

 では、「群盲象を撫でる」状態に陥らないように、簡単な言葉ですべてを説明できるような帰納的な定義を考えてみよう。
 まずは、学生のアンケートから読み取れた「尊敬語・謙譲語…は、それぞれ違う種類の敬語だから、謙譲語には尊敬する意味はない」という類の誤解を避けるために、敬語全体の定義が必要である。
 言語表現とは、自分の表象を相手に伝えることであるから、敬語の第一原則は、
「発話は、表象(イメージ)を受け渡すものである。敬語とは、敬語の対象に当たるものを謹みの気持ちを伴って表象(イメージ)し受け渡し、聞き手に追体験させる言葉である。」
 とするべきであろう。
 「謹み」という言葉を使ったのは、「尊敬」や、「敬語の指針」が使っている「立てる」を使うと意味が狭くなりすぎ、その用語から逸脱する部分が出てしまうからである。見知らぬ人に距離を置くために敬語を使うなどのケースは「尊敬」や「立てる」と完全には適合しない。だからといって、「第一に尊敬する人物に対して、第二に見知らぬ人に…」などとすると、「群盲、象を撫でる」状態になるので、すべてに当てはまる言葉を探さなければならない。その結果が「謹み」とい言葉に行きついた。
 敬語の第二原則は、いわゆる尊敬語の定義である
「尊敬語は、下位者でない者の行為を、話し手が謹んで表象(イメージ)する言葉である。」
「下位者でない者の行為」という言葉がない方がシンプルでわかりやすい。実は筆者はこの言葉を外せる可能性を三カ月も検討したが、どんなに尊敬しても社会的に下位の者の行動を、
例18 ✕「我が子太郎を尊敬します。わが身の危険を顧みず、溺れている幼児を救出なさいました」
などと言えない以上、この言葉は外せない。
 次に問題の謙譲語であるが、
「謙譲語は、上位者でない者の謹んで行う行為を、話し手が表象(イメージ)する言葉である」
とする。
この定義に従うと、先ほど挙げた
例6 ✕ 「社長が部長をご自分の別荘にご招待したそうです」
などという、補語が主語より下位者である場合は言えないことが分かる。また、
例19 〇「社長は、信仰する阿弥陀如来のお告げがあったので本願寺に急ぎ参上した」
のように、上位者の動作に使うこともあるが、それも「例外」という言葉を使わずに説明可能である。文脈上、社長は、阿弥陀如来や本願寺の上位者であるとは言えないからだ。
学校のホームルームで担任の先生が生徒に、
例20 〇「これから、推薦入試の出願要綱について、ご説明します。みなさんの大事な進路の話ですから、良く聞いて下さいね」
などと、これはという大切な場面で生徒に対して謙譲語を使うことがよくあるが、「立てる」というより、「謹んで行う」ことに当たるであろう。
 例20は誤用ではなかろう。担任の先生には、教師として教科内容や倫理道徳を教える先生という側面の他に、推薦入試の書類の事務を執り行う公務員としての側面があり、後者の立場に立っているからだと考えられる。言い換えれば、話者である堪忍の先生は、一般市民に奉仕する公僕として自分が謹んで行なう行為(出願要綱を説明すること)を表象(イメージ)しているのである。
 次に謙譲語�兇砲弔い討任△襪�、結論から述べると、敬語の分類として立てるべきではないと考える。
 その理由は、
1 現代の口語表現では「参ります」「申します」「いたします」「おります」「存じます」など丁寧語と組み合わせて使われる。特に「おる」は、「敬語の指針」にも、謙譲語�兇領磴箸靴萄椶辰討い襪�、標準語の口語では、単独で敬語として使用できない。
例21 ✕「社長、ずいぶん揺れましたね。(地震による)お怪我はありませんか? 停電もして心細いと存じますが、ご安心ください。私でしたらここにおる。」
などという現代語の文章はありえない。時代劇めいた「参る」「存じる」「申す」なども単独での使用も、もう死滅したといってよい。丁寧語と組み合わせてはじめて使用できる表現から、丁寧語にはない性質を取り出すことは、意義あることだとは、到底、考えられない。
2 謙譲語�兇蓮◆峪欧襦廖嵜修后廖屬い燭后廖屬�る」「存ず」など例外ともいえる数少ない言葉である。「『参る』は、『伺う』などと異なり、動作の向かう先を立てない場合にも使う」などという、語誌の説明をすればいい。
丁寧語と美化語については、「敬語の指針」で行われている、
敬語の第三原則
丁寧語は、話や文章の相手に対して丁寧に述べるものである
敬語の第四原則
美化語は、ものごとを美化して述べるものである
でよろしいと思う。


 終わりに
 
 本稿の校了に先立って、令和五年東洋文化談話会発表大会において本論の内容を発表する機会をいただいた。特に例20など、質問をきっかけに考えが深まった。よく「学会発表は絶好の成長の機会だ」と言われるが、まことにその通りであり、ここに謹んで、学恩への心よりの感謝を表明する。ありがとうございました。
いくつかの課題が残った。
まず、用語である。尊敬語、謙譲語という用語を批判した以上、それに替わる言葉を、今後、見つけなければいけない。だが今回は、「為手尊敬」「受け手尊敬」という言葉は採用できなかった。�靴僚�わりに述べた理由もあるが、次のような理由もある。
従来、尊敬語と謙譲語は逆のものだととらえられてきた。
「開く」(四段)と「開く」(下二段)は、動作の方向が逆であるが、尊敬語の「給ふ」は四段、謙譲語の「給ふ」は下二段であるから、尊敬語と謙譲語が逆だということは単なるイメージではなく、一種の文法的規範なのかもしれない。
尊敬語と謙譲語が逆であるという所以は、通常、動作をする人を敬うか受ける人を敬うかという、一つの動作の為手と受け手が逆であること、動作を矢印にたとえるとその根本と先が反対であるととらえられてきた。しかし、動作を謹んで行なうのか、動作を謹んで描写するのかという発話の際の敬意が話し手の内側にあるか外側にあるか、所在が逆であると解釈したほうがおそらくは正確である。
国語学的な問題の他に国文学的課題も残った。
「発話は、表象(イメージ)を受け渡すものである。敬語とは、敬語の対象に当たるものを謹みの気持ちを伴って表象(イメージ)し受け渡し、聞き手に追体験させる言葉である。」
という敬語の定義の箇所で、目下もっとも気になっている国語史の問題は「追体験」という言葉である。たとえば、『伊勢物語』には、「昔、男ありけり。女のえ得まじかりけるを、 年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、 いと暗きに来けり。」などという文章がある。駆け落ちなのか誘拐なのかはともかくも、起きた出来事はおよその想像がつく。だが、どのような男か、その男が女のどのような面に心惹かれたのか、さっぱりわからない。管見によれば、登場人物の内面を読者が追体験することが可能となったのは、近世の安永年間、葛蛇玉や円山応挙が、司馬江漢に先駆けて遠近法を絵画に導入したのと同時期に、上田秋成が「雨月物語」『夢應の鯉魚』にて主人公興義が体験したビジョンを地の文にて描写して読者に示し、その意味を読者に謎かけをした(注14)その前後から始まったことであろう。そして、登場人物の主観を表象し読者に受け渡す手法は明治期以降の欧米文学との出会いによって爆発的に広まった。今では、スリラーなら、犯人に追いかけられる主人公そのものの気持ちになって、手に汗を握って物語世界の中で迷路の出口を探して逃げ回るのは文学体験としてごく一般的なものとなっている。私は、この追体験こそが、敬語だけではなく、古典語と現代語を分ける大きな要素であると考える。
 


(注1)学部入試、国語学の単位習得、教員採用試験などに敬語が出題されないことも多く、出題されたとしても古典の敬語がほとんどである。
(注2)生徒に挙手をさせて聞くと、進学校の古文の授業は八割が謙譲語を「受け手尊敬」と習っている。進学校ではない学校では、「へりくだる」言葉だと習った者が多い。理解させやすいから、まちがいとわかっていてもあえて教えるのだという話もよく耳にする。
(注3)keigo_tosin.pdf (bunka.go.jp) 2023 920日閲覧
(注4)山田孝雄氏の「関係敬称」、金田一京助氏の「目的格への敬称」、馬淵和夫氏の「対象尊敬」、宮地裕氏の「謙譲語」、渡辺実氏の「受け手尊敬」など用語はさまざまであるが、「敬語の指針」のいう謙譲語�気猟蟲舛箸曚榮瑛佑亮饂櫃如�錚々たる大家が謙譲語を論じている。
(注5)『日本語敬語表現の史的展開についての研究 : 尊者定位重視の敬語から自己定位重視の敬語へ』(1996年 奈良女子大学 博士論文)
(注6)菊池康人『敬語』第15版 東京 講談社学術文庫 258P 2019年
(注7)『学研全訳古語辞典』(オンライン公開)
(注8)数学用語として使う場合は、グラフのように連続して現われることがない、飛び飛びの数のこと。行列、順列、組み合わせなどで扱われる数。言葉の用法は言うまでもなく離散的ではない。
(注9)基本的な文献は、服部四郎 「意味の理論」川本茂雄・國廣哲彌・林大(編)『日本の言語学―第五巻意味・語彙』 (pp. 531-541)東京 大修館書店 1979年・国広哲彌 『意味の諸相』東京 三省堂 1978年 など。
(注10)アリストテレス『形而上学 上 』(第一巻第二章)引用した訳は、松原望氏「相関社会学」
https://qmss.ne.jp/interss/01/materials/sofia-b.htm (2022年11月29日参照によった。
(注11)辻村敏樹『敬語論考』東京 明治書院 1992年
(注12)高校の古典は、古典語を教授する科目であるから、謙譲語�兇篭気┐蕕譴覆ぁ8�譲語�気鮹韻法峺�譲語」と呼んで教えている。
(注13)時枝誠記『場面と敬辭法の帰納的關係について』「國語と國文學」1938年 十五巻6号 65―66P
(注14)本間也寸志『公案としての「夢應の鯉魚」』(「東洋文化」2017年114号58‐69p)


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