前作「じゃみのしずく」(漢字検索がめんどい)が2006年ですのでね。
待った待った。本が出る前に弥勒が来るかと思ったわ。(オオゲサ
途中でいろいろ、思わせぶりな小作品が出たりするので
「書くのやめたとかはないんだな」とは思ってましたけど、
作者がコロナで死んだとかそういうのは「なし」ね!って思ってたので。
(栗本薫死去で雲散霧消したグイン・サーガのように)
単行本はなんと7センチの厚さ!
カップヌードルの上に乗せたらカップ壊れる?くらいの迫力です。
文鎮にしてもいいけどでかすぎて使いにくい。
やはり本は読むもんですね。
でね、今3回目読んでるんですけど
わかったことがあるの。
なんで今これが出たのか?ってこと。
かなり後半なんだけど、京極堂がとある装置について
「あれはフェイクです」って断言するシーンがあって
「この時代にフェイクって言わないだろ…あ、そうか」と思いました。
フェイクの時代がまさに今ですよ。
だから今、これが出たんですよ。
こういうセリフもあります。
「現代人たるもの、科学的思考をもって世界を理解しようという姿勢をもつことは
大事なことだろう。」
「しかし科学的思考というのは、それらしいことを丸のみで信じ込むことではないんだよ。」
「疑い、考え、徹底的に検証すること。そして証明ができなければ、わからない、とする姿勢こそが科学的思考だ。」
この部分にイイネ100万回押したい。
そしてユーチューブで見た「自分だけがたどり着いた真実」を、
「これを知らない、信じないやつらは全員バカ」とばかりに拡散する人たちの
瞼の上に張り付けてやりたい。
(キョンシーのお札みたいに)
証明ができないことを信じるのは「宗教」。
これはこれまでの作品でも何度か書かれてきたことなんだけどね。
この作品では決定的に書いてありますよ。
「科学は宗教を否定するものではないし、宗教も科学を否定するものではない」
「それはただ、補完しあうものですよ」
「一方、宗教の理(ことわり)で科学を理解しようとしたり、科学の理で
宗教を語ったりしてはいけないんです。それは、並び立つものではあるけど、
まじりあうものではないんです」
科学的(医学的)にぜーんぜん理屈に合わないことを
「@@大学の教授が言ってた」とかの根拠でまるのみに信じて、
あまつさえ信じない人間をバカ呼ばわりするとかいうのは
明らかに「特定の教祖だけを信仰する信者」さんの態度ですがな。
本当に宗教なら何をどう信じてもいいんだけど、
科学的(医学的)に検証できないことは、「科学(医学)」ではないのだよ。
それを「でも@@に書いてあった、こう言ってた」って言い張る。
もうなんだかね、って感じでした。
京極夏彦、よくやってくれた!!
胸がすーっとしました。
たったひとつの問題点は、
この本を、そういう狂信的な方々は絶対に読まないだろうな、ってことです。(笑うとこ
追記;次回作は「幽谷響(やまびこ)の家」だそうです。いつでるやら…
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