自殺がタブーとされるのは、
「創世記」の9章5節が典拠であるらしい。
「あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する」(新共同訳1987)
まあ、ここを持ち出すまでもなく、
戦争は自殺と同じであるが、戦争絶対反対というスタンスを取ったキリスト教の宗派は、あるだろうか。
なぜ、そういうことになったかというと、
旧約の神と、新約の神が人格的に異なっているからである。
そして、教義の実際の運用を決めるのは、保身と我利にしか興味がない「人間」というものだからである。
古代では、自分が死刑になりたくなかったし、王からの寄進が欲しかった。
近代は、たとえば、鈴木大拙などは急進的な主戦論である。大衆の支持が欲しかったのか。
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