こどものころは、仙石線の野蒜駅で降りて海まで歩いた。
狭い道の両側にはびっしり小さい家が建ってて、漁師さんがやっている海の家とか
民宿とか、かき氷や浮き輪を売っているお店があった。
今は、駅まで、何もない。
全部ながされた、ねこそぎなくなった。
野蒜駅は高台に移転した住宅地の中にできて、線路も内陸に動かした。
もとの野蒜駅は震災復興資料館になってて、
壊れたホームと曲がった線路は残ってて、
裏は震災で亡くなった方々の慰霊碑の立つ公園になっている。
この記事には「会社」とあるけどあの場所に
いわゆる大きい会社はなかったと思うのね。
「敷地」とあるけど建物は建てられない地域になっているので、
荒地のままだと思うのね。
山のように流れ着いたがれきを片づけてとりあえず整地して、
今進んでいる「海沿いの防潮堤」と「防潮堤上の道路」を作る準備中と思うのね。
だからその「会社敷地」もそろそろ工事がはじまるから、ってんで
一応敷地を見回ったんだろうね。
そしたら地面から頭蓋骨の一部が見えた。
がれきといっしょに流されて一番下になって、地面にめり込んでしまったのだろうな。
そのまま建物でも再建されたならもっと前に掘り起こされただろうけど
(基礎作りの工事とかでね)
そのうち道路になる場所としてずっとほっとかれたので、
上にあったがれきが片づけられたあとはご遺体は土中で静かに眠ってたのだろうね。
塩をかぶった地面は土を入れ替えないと雑草もあまり生えない。
だから荒地のままで、10年の雨風ですこしずつ土が掘れたのだろうね。
お気の毒な話だが、全身のご遺骨がきれいに残るのは
津波犠牲者ではめったにない。
ご遺族には「ご家族がお帰りになってよかったですね」と言ってあげたい。
■震災10年を目前、遺体身元判明=行方不明の61歳女性―宮城県警
(時事通信社 - 03月04日 19:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6433872
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