■「親と絡み合った人生の外に出て」 『母を捨てるということ』著者が語る新しい自分の人生の始め方
(AERA dot. - 10月17日 08:00)
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私の知っているケースは、
1 親が受験で不合理な作戦を立てる。「私のおかげで、××ちゃんが合格した」という満足感を得たいために、塾を勝手に変える。
その結果、説明会でホテルマンみたいな職員が下にも置かぬもてなしをするようなところに引っかかる。
極端な例では、母親の意向で家庭教師を一年に五人も変えたお宅を知っています。
2 娘の交際相手に難癖をつける。
(美しい娘への嫉妬から)娘に女性として幸せになってほしくない、独身のままずっと自分と暮らしてほしい…という深層心理があります。
『白雪姫』の物語は、元々は、実の母親と娘の殺し合いだそうです。それはあまりにも無残だから、継母という設定にしたそうです。
3 自分の子をバカだと勘違いする
恐らくは、親ばかになる恐怖から、逆の行動を無意識のうちにとるのでしょう。
4 子どもと一緒に逃げる
学校でトラブルに巻き込まれている子に、親が率先して中退を進める。大学なんて行かなくてもいいという。志望を下げるように言う。
子どもと自分を混同しているから、逃げるという現象が起きます。東大に入れなかった親が子どもを東大に入れるという「代理戦争」をするということがありますが、その、裏返しです。
この五パターンは、本当に多いと思います。
…親は、宿命的に、異常です。正常ではありません。
普段は温和な常識人でも、たとえば泥酔したら自動車の運転を避けなければいけないのとまったく同様に、子どもについての判断は避けなければ行けません。
そういう親が多くなったのも、結びつきが観念的になったからでしょうか。
子どもの服を夜なべして縫い、子どもの体に合わせる、
子どもの勉強、特に理科や社会の質問などに答える
というような、子どもと有機的に関係し、親の精神や手先などの肉体も、有機的に刺激を受けて変容するような結びつきが少なくなったから、
親の、子どもの現実からの乖離に、拍車がかかっている感があります。
理科や社会について子どもと語ると、自分の脳の質とは全く関係がない、独特の脳の構造を持っているとわかります。顔かたちが似ていても、魂の中核部分は自分とは別物だと。
昨日は、友人と割烹で飲みました。
茶わん蒸しやつくねなど、本来は家庭料理であったものが、全く、家庭料理でなくなったことにいまさらながら驚きます。
また、こういうシンプルなものが本当に難しいとも。
昔のお母さんは、独特のものを作って、それを他と変えられないおふくろの味に仕立てたのでしょう。名板前に習っても同じものが作れるとは、到底思えませんし、
商品にはならないような、泥臭さや不合理さにお母さんの独特な肉感的な身にまとった「肌ゑ」(その人の独特の体質のようなもの。曹洞宗快庵派の言葉)が象徴的に出るのでしょう。まずいという意味では必ずしもありません。贅沢すぎて店で売れないというようなケースもあるかもしれません。
写真は、昨日食べた松し滿さん。
茶わん蒸しは、ズワイガニの足が入ります。普通の茶わん蒸しは、プッチンプリンのような舌ざわりですが、プリンとヨーグルトの中間のトロっとした舌ざわり。
つくねは、醤油が焦げてませんが、焦げに近いような独特のコクがあります。
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