今日、ある方から茄子の漬物を頂きました。
その際、切るのが面倒だったら、丸のまま食べてねと言われました。
この事を聞いて、ふと江戸時代の川柳を思い出しました。
「香のもの へし折ってくふ 壱人もの」
今夜は、この川柳のようにして食べさせて頂きました。
昨日、川柳の話を書きましたが、
話題にすると、その関係の話が集まって来たりするものですね。
川柳に縁があるのかも知れないと思いました。
それで少し川柳の話を続けます。
江戸時代の川柳を読んでいると、
当時の風習や知識のレベル、あるいは庶民の感覚などを知る事が出来ます。
能因法師をご存知の方も多い事と思いますが、
平安中期の僧侶であり歌人です。
1013年(長和2年)に出家し、甲斐国や陸奥国などの諸国を行脚し、
歌枕を尋ねて歌を詠んでいます。
後の西行、芭蕉もこれに倣ったと言われています。
能因法師の歌に、
「都をば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関」があります。
この歌について、実際には行っていないとの話が
鎌倉時代に伊賀守橘成季によって編纂された世俗説話集『古今著聞集』にあります。
江戸時代の人はこの説話集を知っていたのでしょう、
「松島を 聞けば能因 口ごもり」
「知る人が 来ると能因 窓を閉て」 等
多くの川柳に詠まれています。
「与一が矢 それると虫に 当たるとこ」
那須与一が屋島の戦いで扇の的を射る話は有名ですが、
この扇の的の脇に立っていたのが、
玉虫と言う名の絶世の美女でした。
「かもめだと いふと名所に ならぬとこ」
伊勢物語の在原業平の、
「名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしや」
この歌を踏まえた川柳ですし、
「なるほどと 指を折らせる かきつばた」
やはり業平の
「唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」
の歌を踏まえています。
江戸庶民が「伊勢物語」を読んでいたのかどうか分かりませんが、
業平の歌とエピソードを知っていたのでしょうね。
ついでに、バレ句を2句ほど。
「死にたいの にの字を抜いて 欲しい後家」
「足音で 二つに割れる 影法師」
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