観察すると、
不登校の人は、
A きれいすぎて適応できなかった。
B 適応能力がない。
の二つにきれいに分かれます。
今は下火になりましたが、
学校行事が無駄であり、受験の足を引っ張るから…という理由で、大検(高認)を取る人もいました。
また、一見、変わった針路や考え方を取る人であっても、その後の人生はうまくいく場合も多いです。
それぞれが抱える事情はまちまちですから、一般化できる道理がありません。
「落伍者」などという表現は、何も知らん人の言い分です。
ナイターを見ながら、普通の能がないオヤジが、ピッチャーの替え時を批判しているのと同じです。
「世評」を気にするのはナンセンスです。
家族ですら同じです。
家族はバラバラのことを考えています。
当然です。
合せる必要はないですし、そもそも、無理ですね。
よく家父長が尊敬されている家がありますが、家族を鋳型に押し込んでいる、無能力化しているなどのケースが多いです。感心できる事例はあまりありません。
親の考えと子どもの考えは違いますし、子どもが愚かとは限りません。
大きな問題は結婚相手などですが、
聞かれたらアドバイスはしますが、私は、放任。この世は自分で責任をとるしかないシステムですから。
最近、二つの別の問題で友人二人から助けられました。
ありがたかったですが、
やはり、つくづくと、最終的に責任を取るのは自分だと思います。
当たり前ですが、若いとわからない(実感できない)ことかもしれません。
自分が描いた理想通りに行くことにこだわるのは、可能性を殺しているも同じです。
私がコマを持っている予備校でも、
「本当の英語はこうあるべきだ」と考えて、授業に出なくなる人がいます。
圧倒的多数が、実はBなのに、Aであると自己肯定した結果ですから、
思い上がりも甚だしい、自業自得だ…という批評もありえますし、
周りがどうとらえようと、ケツを拭くのは、自分です。
(思うに人の思惑を気にするから、カッコつけて自分を誤魔化すということがあるのでしょうね)
まして、人生は英語以上に複雑です。固定観念ではとらえられません。
不登校の人は、ハンディがある人と同様に、
人生とは何かについて、普通の人生を流されて生きる人と比べて、とくと考えるチャンスに恵まれています。
■大人になっても続く「普通じゃない」の呪縛 不登校経験者の苦しみ
(ウィズニュース - 06月20日 07:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=5671092
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