今日は、人間ドックでした。
栃木県の保健衛生事業団の人間ドックは、この年度替わりの時期に受けると3割引で、
更に宇都宮市からの助成も受けたりすると、かなり安く受けられます。
昨年からこれを利用するようになりました。
朝7時半からの受付でしたので、
午前6時半頃に起きて、ゴミを出してから洗顔などをして行きました。
着いたのは7時半頃でしたが、受付番号は37番でした。
ちなみに昨年は10分前に着いて、27番でした。
それはともかく、テレビのニュースを見ないで出かけましたが、
待合ロビーのテレビで、フランスのパリのノートルダム寺院の火災を知りました。
尖塔が燃え落ちる様も映像で見て驚いてしまい、
しばらくニュースに見入ってしまいました。
ノートルダム寺院には、1982年(昭和57年)10月に新婚旅行で行きました。
尖塔には上がりませんでしたが、正面の塔に上がってパリの街を見ました。
そんな事もありショックでした。
帰宅してからネットでノートルダム寺院のニュースを見ていたら、
貴重な文化財の多くが運び出されて無事だったとありました。
キリストが処刑の際に頭に載せられた、茨でできた冠
即ち荊冠も運び出されたとありました。
そのような物が残っているとの事に驚き、調べてみました。
荊冠は、カトリック教会で信仰されているキリストなどの遺品である聖遺物の1つです。
荊冠は、10 世紀以前はエルサレムに置かれていたそうで、
その後コンスタンティノープルに移されました。
1238年に、第4回十字軍が建てたラテン帝国のボードアン2世から
フランスのルイ9世に売却の打診がありルイ9世はこれを承諾しますが、
ラテン帝国の諸侯達がこの荊冠をヴェネツィアの銀行への担保に出していて、
既に質流れの形で売却されてしまっていました。
しかし、ルイ9世は、先に売却が決定していたと主張して、
1239 年2月にパリへと移され、
パリにもたらされた荊冠は、ルイ9世が手に入れたほかの聖遺物とともに、
それらを保管するために建設されたサント=シャペルに安置され、
その後、ノートルダム寺院に移されたようです。
因みに、ルイ9世は熱心なキリスト教徒でした。
内政に力を入れ長期の平和を保ったため、彼の治世の間、フランス王国は繁栄しました。
高潔で敬虔な人格から理想のキリスト教王と評価されていますが、
2回の十字軍遠征を行った結果、莫大な費用を費やし、
自身も捕虜となるなど散々な負け戦を喫し、失敗に終わった挙句、
2回目の十字軍に出陣中に病気で没しました。
荊冠の存在が出てきたときは、キリストの死後既に1000年近く過ぎていますので、
果たして本物なのかと疑問はありますが、
それでも800年近く、本物と信じられて来た物である事も間違いないのかも知れません。
ノートルダム寺院の火災で、少しヨーロッパ史を勉強してしまいました。
人間ドックの結果は、今日結果が出た分については、概ね異常なしのようですが、
画像診断などの結果と併せて、来月知らせてくれるようです。
その前に、電話が架かってこなければ良いですが。
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