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2018年05月09日07:41

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岡山探訪 第329回 牛窓・朝鮮通信使資料室

「海遊文化館」の続編です。
牛窓はかつて風待ち、潮待ちの港として栄え、また江戸時代には参勤交代の大名を始め、鎖国の日本と朝鮮の間には交隣の友好が結ばれ、朝鮮通信使の一行が寄港していた歴史がある。
ここ「朝鮮通信使資料室」では、朝鮮通信使節団に関する貴重な資料が数多く集められている。

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↑(TOP左画像)
「朝鮮通信使の正使と副使の衣装」

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「唐子踊り衣装」
朝鮮通信使の一行が伝えたと言う。
毎年10月第4日曜、疫神社で奉納される。

・TOP中画像
資料室全景

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「朝鮮通信使往還図」
朝鮮の釜山から海を渡り、対馬や下関(長門)、笠戸(周防)、竹原(安芸)等を経由して牛窓に入港。
さらに大阪に上陸して、陸路で京都を経由し江戸まで往来していた。

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「朝鮮通信使船団図」の一部
延亨5年(1748年)4月15日、日比沖(玉野市)を航行する
船団の先頭は船奉行船、海上案内名主の小船、中型船、引き船、用聞浦船が先行。

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さらに正使官が乗る通信使船(正使船)が続く。
船上には「正」の文字を描いた「帆モメン」を掲げている。

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続いて、正使従船(ト船/貨物船)、副使船、同従船、従事官船、同従船、通詞船、対馬藩船が続く。

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「牛窓」
御茶屋や本蓮寺が描かれている。
本蓮寺は朝鮮人との接待に利用されたと言う。

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「朝鮮国信使絵巻」
長崎県対馬に伝わる通信使一行の行列絵巻で全長13.76mになる。
警護にあたる対馬藩役人の姿も見える。
また、通信使は朝鮮王国から徳川将軍にあてた国書が一番大切な物として赤い輿(こし)に入れて運んでいる。

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「松雲大師」(和紙人形)
朝鮮王朝の僧。
文禄・慶長の役では総指揮官として日本軍と果敢に戦い、また加藤清正や徳川家康と講和交渉を行う等、外交面でも大きな役割を果たした人物。

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↑(TOP右画像)
「朝鮮通信使の行列人形」
ジオラマ人形で再現すると当時の様子がよく分かる。


さて、朝鮮通信使寄港の港町とは知っていたものの牛窓にこんなに深い歴史があったとは驚いた。
この展示館も中々見学する機会が今まで無かった場所のひとつでした。
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