二十代のころ、尊敬する先輩に、「テレビ、新聞、雑誌は読むな」と言われたことがあります。
そんなに、テレビは見る方でないし、雑誌も、グラビアとルポルタージュ程度でしたが、それはわかります。接しているものに大きな影響を受けるからです。
たとえば、上品な人は、もともと上品ではなく、クラッシック音楽など上品なものに接しているから上品なのでしょう。
この記事には、少々、びっくりしました。
「正直」「思いやり」などの倫理観は、出世の道具ではありません。役に立つはずがないです。
まるで、「栄養士が作った健康食は、まずい。寿司やウナギはうまい。ゆえに、栄養士の仕事は役に立たない」と言っているようなものです。
こういうのを、大馬鹿といいます。
気を付けるべきは、大馬鹿が大勢を占めているということです。
友人の大学教授が、上の下程度の私立大学の、一般教養の論理学を非常勤で持ちました。
レポートを課したら
「世の中、論理だけでは割り切れない」
という答案が過半数だったそうです。
「それは、当然、不可だな」と言ったら、苦笑いをしていました。当然に不可です。
まあ、そういうわけで、こんな記事はまともに相手にするに値しないのですが、
ただし、別の観点から倫理観は役に立つものだといえます。
検査入院していましたが、
医師や看護師などはもちろん、患者も「配慮」「優しさ」…というものを持っている人だったから、ストレスがありませんでした。
きれいごとが消滅したら、ぼくらは一日たりとも生きていけません。
もちろん、個人の出世など欲望の追求とは別個の問題として。
ところが、倫理観が機能している局面とそうでない局面があります。
何で、エレベーターでは、「開」ボタンを押して。他の人を先に出す配慮があるのに、
なぜ、政治家は、当選のことだけを考えるのか。
具体的に言うと、なぜ、自民党議員は、安倍おろしをしないのか。
倫理の問題も、アル/ナシ という二分法で考えるわけには行かないようです。
学校で教えられた「きれいごと」は社会では役に立たないのか?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=116&from=diary&id=4357389
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