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2026年09月27日04:41

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恵那紀行13 日本大正村

 8月20日木曜日は恵那市明智町の日本大正村を訪れました。
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 日本大正村は、兵庫県出身で木曽路の写真家として知られる澤田正春(1917〜92)が、恵那郡明智町に大正建築が多く残るのに注目して明智町に提案し、明智町が昭和58(1983)年に町おこしとして正式に構想決定したレトロテーマパークで、昭和63(1988)年にオープンしました。特定の敷地内に設けられた施設ではなく、明知町全体として大正時代の雰囲気を保存・再現した店舗・資料館・博物館等が軒を連ねており、郵便局や銀行は実際の窓口業務も行っています。なお、明智町は平成16(2004)年に恵那市へ合併されました。
 初代村長は大正時代生まれの高峰三枝子(1918〜90)が務め、平成11(1999)年に司葉子(1934〜)が二代目村長、平成27(2015)年には竹下景子(1953〜)が三代目村長に就任しています。
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 有料施設は大正浪漫館・日本大正村資料館・大正時代・館司記念館等で、それぞれ定休日が異なり、金土日曜日のみ全施設が開館します。四館共通入場券や三館共通入場券も販売されています。
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 大正村の中枢施設になっているのが、明智駅近くにある大正村浪漫亭です。土産物屋やレストランがあり、明智町が55.2%を出資する設立された第三セクターの大正ロマン株式会社が運営を行なっていました。要するに道の駅ですね。平成16(2004)年に明智町が恵那市に合併されると明智町保有の株式は恵那市が引き継ぎましたが、赤字経営が続いたため平成27(2015)年2月に営業を停止し、清算手続きに入る事となりました。
 しかし、恵那市は観光拠点として復活させる決断を下し、約8100万円の市費に加えて、岐阜県から1200万円の補助金も得て建物の内外装や調理設備を一新する大規模改修を行い、平成28(2016)年10月にリニューアルオープンを果たしました。また、従来の民間出資が多かった大正ロマン株式会社の体制を改め、恵那市が99.9%を出資、代表取締役は市長が兼務する事となったため、実質的には恵那市の外郭団体となっています。
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 浪漫亭から明智川を渡って南下すると、大正路地があります。
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 明治30(1897)年創立の濃明(ノウメイ)銀行創始者である橋本幸八郎宅の年貢米を納めた米蔵と、江戸時代から続く呉服問屋の蔵に挟まれた石畳の路地です。漆喰の白壁と黒い羽目板の対比が非常に鮮やかですが、黒い羽目板は、桟(サン)を外す事で防火壁の役目を果たす構造になっており、当時の防災の知恵を垣間見る事が出来ます。
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 大正時代の光景が色濃く残るすレトロな散策ルートです。
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 大正路地を登って行くと日本大正村役場〔登録文化財〕があります。
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 この建物は明治39(1906)年に明智町役場として建築され、昭和37(1962)年まで実際に町政の拠点として使用されていました。:瓦葺(カワラブキ)の屋根に、白壁や洋風の窓を組み合わせた和洋折衷の美しい木造洋館です。
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 館内では日本大正村の設立経緯や明智町の歴史に関する資料が展示されていますが、入館無料の休憩所として開放されています。
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 大正路地の突き当りには大正村絵画館があります。
https://www.google.com/maps/place/%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%9D%91%E7%B5%B5%E7%94%BB%E9%A4%A8/@35.3049297,137.3896386,19z/data=!4m6!3m5!1s0x600353d62b7912e1:0xdb1ffeaf5161a54f!8m2!3d35.3047545!4d137.3906133!16s%2Fg%2F11h111ntby?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI2MDkyMy4wIKXMDSoASAFQAw%3D%3D
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 明治10(1877)年竣工の木造建築で、嘗(カツ)ては小学校・警察署・商工会議所・集会所等として地域で実際に利用されて来ました。アーチ状の窓や入り口等の当時のハイカラな西洋風のデザインが今も残されています。大正村開村当初は山本芳翠(ヤマモトホウスイ)記念館と呼ばれていました。山本芳翠(1850〜1906)は明知村出身で、明治時代にフランスへ留学し、日本の近代洋画の発展に大きく貢献した「洋画の父」と称される著名な画家です。
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 現在は主に絵画や書物などの美術・歴史資料を展示する企画展示館として活用されており、日本大正村の発案者である澤田正春の作品や生い立ち、画材道具などを紹介する展示など、時期によって様々な企画展が催されます。入館は無料です。
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 なお、明智町は明智光秀(1516?〜82)生誕の地と称しています。
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 一次史料は無いんですが、光秀は美濃守護土岐氏の一族として現可児市の「明智城」で生まれた可能性が高く、こちらの「明知城」で生まれた可能性は低そうです。
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 しかし、当地では光秀は英雄として扱われており、光秀ゆかりの史跡と称する物も多く残されています。
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 自販機にも「敵は本能寺にあり」と記されていました。w
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《続く》
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