ヴィルヘルム・グストロフ(Wilhelm Gustloff)は、ナチス・ドイツの客船。ナチ党が工場労働者・農民・会社員等の一般勤労者に安価な海外旅行を提供するために建造した豪華客船であったが、第二次世界大戦で徴用され、1945年1月30日にゴーテンハーフェン(現グディニャ)の港から東プロイセンの避難民や傷病兵を乗せて出航した後、ソ連海軍の潜水艦S-13(英語版)の雷撃を受け、推定9,000名以上という海事史上最悪の死者を出した。
公式記録では、乗組員173名、第2潜水艦訓練部隊の海軍軍人918名、海軍女性補助員(de)373名、傷病兵162名、難民4,424名の計6,050名が乗船していたとされ、この数字は厳格にまとめられたもので信用できるものと考えられる。しかし、既に定員を大幅にオーバーしていたところに、出港後に乗船を懇願する難民を乗せた多くの小舟に取り巻かれ、少なくとも2,000人以上の難民を追加で急遽乗船させたので、実際に何人が乗船していたのかは不明である。生存した元乗組員のハインツ・シェーン(Heinz Schön)が戦後調査したところに拠ると、当時乗客は10,582名、うち8,956名が難民ということで、ほとんどが女性・子どもであったと判明している。船は2,000名弱の乗客を想定して建造されていたが、レクリエーションのための共用空間の多い豪華クルーズ船だったため、そこに多くの乗客たちを押し込めることができた。ただし装備されていた救命用具は1万名を越える乗客の半数分に満たない数であった。
沈没での生存者は1,216名(ドイツ語版では1,252名)、犠牲者は9,343名(ほとんどが一般市民で、半分以上が子供)とされているが、これはハインツ・シェーンの調査結果によるもので、もっとも信頼できるものと評価されている。しかし、もともと何人乗っていたかが不明なため、実際の死者の数もはっきりとはわかっていない。事件直後は死者5,000人、生存者964人とされていた。
ヴィルヘルム・グストロフが投入された避難民輸送では、2月10日に客船「シュトイベン」がまたもS-13に撃沈され、4月16日に貨物船「ゴヤ」もそれぞれソ連潜水艦の雷撃を受けて沈没し、難民などに大勢の犠牲者(シュトイベンでは4,500名、ゴヤでは6,666名)を出している。1945年4月はじめまでに、ドイツ海軍は東プロイセンからドイツ西部への250万人の軍民を避難させることに成功したが、その過程で33,000人の難民や軍人が亡くなった。
主な海難事故(戦没艦も含む)
船名 遭難年 国名 犠牲者数(人)
ゴヤ 1945年 ドイツ ~6,000
ヴィルヘルム・グストロフ 1945年 ドイツ ~9,343
カップ・アルコナ 1945年 ドイツ ~4,500
シュトイベン 1945年 ドイツ ~4,500
ティールベク 1945年 ドイツ ~2,800
江亜 1948年 中国 ~2,750
ドニャ・パス 1987年 フィリピン ~2,000
タイタニック 1912年 イギリス ~1,503
ルシタニア 1915年 イギリス ~1,198
龍田丸 1943年 日本 ~1,481
対馬丸 1944年 日本 ~1,476
洞爺丸 1954年 日本 ~1,430
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