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2026年07月19日08:36

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松原照子の「世見」(転載)

本日の世見  2026年7月19日(日曜日)

『平賀源内』

「土用の丑の日」は、「う」の付く食べ物が良いと言われています。
平賀源内は、土用の丑の日にうなぎを食べることを今の世の人たちにも浸透させたのですから、あっぱれです。
でもね、源内の最期はお気の毒です。

鉱山事業に失敗した源内は「山師」と言われるようになり、精神的にかなり追いつめられ、著作の中に自身をモデルとした「貧家銭内(ひんかぜにない)」という人物を登場させるなどして自分を責め、社会に対して不平不満を爆発させていました。
このような精神状態にあった源内は、自分が大名の別荘修理の見積書をしまい込んだことを忘れ、知人の大工が盗んだと勘違いして、その大工を殺傷してしまいます。
我に返った源内は自害を試みるが、止められて自首。
ところが、自害しようとしたときにできた傷から破傷風にかかり、事件を起こした翌月、牢の中で生涯を閉じたのです。享年52歳でした。

源内の発明品は、100種以上もあるといいます。
平賀源内は、現在の香川県さぬき市で生まれました。
高松藩士・白石茂左衛門の三男が源内です。
本来の名は国倫(くにとも)、幼名は四方吉(よもきち)。
戦国時代、白石氏の祖先に、平賀源心という『太平記』にも名を遺した武士がいましたが、戦いに敗れて白石姓を名乗るようになり、そしてその後源内の代で平賀姓に戻したようです。

当時の長崎遊学というのは、現在の海外留学に似ていたのかもしれません。
蘭学の聖地、それが当時の長崎でした。
源内にとって1年間の長崎遊学は、きっと瞬く間に過ぎたものの、この1年間で、人生に花を咲かせる土台を作ることができたのでしょう。
「人生」は一言では語れません。
あなたの大切な人生です。
もしも源内から学ぶものがあるとしたら、それは「才能があっても、その才能を認めてくれる人がいないと、また違った人生を歩むことになる」、ということです。
でもね、平凡に暮らせることを喜び事にすると、「運」って、アップするのを感じます。
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