池谷 薫
在日チベット人の中国大使館前での抗議デモの投稿に大きな反響があった。
現在日本に暮らすチベット人はおよそ150人。
その最初のひとりである医師・西蔵(にしくら)ツワンさんの波乱の人生を知ってほしい。
ツワンさんは西チベットのシガツェで生まれた。
10歳のとき家族とともにインドに亡命。
それまてのツワン少年は侵略してきた中国の洗脳教育を受け、真っ赤に染まっていたという。
息子の密告を恐れた父親は、ツワンさんがたまたま左手を骨折していたのを口実に湯治に行くと偽って彼を連れ出した。
ヒマラヤをひと月かけて越え、インド北東部のダージリンに到着。
そこで英国式の厳しい全寮制教育を受ける。
ツワンさんはそのときの学校生活を、まるでハリーポッターの世界にいるようだったと楽しそうに語る。
3年後、13歳のツワン少年に大きな転機が訪れる。
優秀な子どもを海外で学ばせるチベット亡命政府の方針で、日本に留学。
このとき選ばれた5人は難民のため無国籍だった。
そのため手続きは難航したが、次々と押し寄せる難題を解決してヒマラヤの子どもたちを受け入れたのは、埼玉県の片田舎にある毛呂病院の丸木清美院長だった。
いやはやすごい日本人がいたものである。
その2年後、ツワンさんに運命の時が訪れる。
ダライ・ラマ法王か初来日したのだ。
留学生を激励するため毛呂を訪れた法王は、将来チベットの力になれるよう専門的な知識を身に付けなさいと言われたそうだ。
その言葉に背中を押されたツワンさんは医学の道を志し、丸木さんが創設した埼玉医科大学を苦学のすえ卒業。
やがて専門的な技術を要する消化器内視鏡のエキスパートとなる。
87年に日本に帰化したが、故郷への思いは強まる一方で、名字はチベットを意味する「西蔵」にした。
その名の通り、医師として患者の治療にあたる一方、チベットに関する執筆・講演活動を続け、休暇の際には南インドのチベット難民キャンプを度々訪れ、苦難の道を歩む同胞への献身的な支援を行っている。
2009年には埼玉・武蔵台病院の院長に就任。
医師としてのモットーは、利他の心で日々患者と向き合うことだそうだ。
逆境を乗り越え生き抜いてきたツワンさんの言葉には、その一つひとつに重みが感じられる。
「私は利他の心と同時に夢と希望を持ち続けることが人生ではとても大切だと思います。それもただ頭の中で思い描くのではなく、その時その時の状況で努力、行動していくことです。そうすると誰かが見ていてくれる。これは私の確信なんです」
その言葉を実践した大切なエピソードがある。
飯能高校の同級生だった小谷野良明さんとの友情秘話だ。
小谷野さんの妻が末期ガンで余命宣告されたとき、ツワンさんは自分の病院に転院させるよう小谷野さんに進言した。
「僕は君の奥さんの病気を治すことはできないが、笑顔にすることならできる」…
ツワンさんはそう語り、その言葉どおり2ヶ月後、小谷野さんの妻は穏やかな笑顔で天国に旅立った。
その時の様子を小谷野さんは「チベットの奇跡を見たようだった」と振り返る。
「ルンタ」を制作するにあたり、ツワンさんは僕に「チベットの心を撮ってほしい」とアドバイスしてくれた。
その心とは、いま世界が最も必要とする〈慈悲の心〉〈利他の心〉であり、ツワンさんのまっすぐな生き方にはそれが詰まっている。
74歳になったツワンさんの悲願は、祖国チベットの土を再び踏み、風に吹かれること。
そのためなら中国に捕まってもいいとさえ言う。
それが悲しい。
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